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2006年4月11日 (火)

「コミュニケーション能力」という言葉は美化されすぎ

【いま社会や企業から本当に求められているものは、『コミュニケーション能力』じゃなくて『政治力』だ!】
fromdusktildawnさんの記事にあとでTBしようと思ってブクマしといたら、先に本人にお返事されてしまった。中途半端にコメントしとくもんじゃないなぁ。今回の記事は、↓の2つの記事への返信。

政治力から分離された「コミュニケーション能力」は机上の空論
「彼はコミュニケーション能力は高いけど、いつも仲間に受け入れられないのよ」

現状、「コミュニケーション能力」という言葉が、「政治力」を含めたものとして使われているということ自体は、fromdusktildawnさんの指摘どおりだと思うし、異論もないんです。

でもそれだったら、「コミュニケーション能力」という言葉はいまよりもっとダーティーなイメージを持って世間から認知されて欲しいし、さもなければ「政治力」とか「社会適応力」とか別の言葉を使って欲しい。これが僕の考えです。

いま「コミュニケーション能力」は、とても素晴らしい、人生に必須の、まるで魔法のような能力だと思われていますよね?企業が新人に一番求めるものは、ここ数年ずっと「コミュニケーション能力」だし。

でもコレ、要は「政治力のある人間が欲しい」ってことの言い換えなんですよ。だったら「我が社は政治力のある人間が欲しい」って素直に言えよ、と*1。でもそこを「コミュニケーション能力」とか言って美化しているところが、「『うんこ』を『カレー』に無理やり言い換えて、うまいうまい言って食ってるみたいで気持ち悪い」んです。僕には。


【『社会的コミュニケーションスキル』と『情愛的コミュニケーションスキル』】
結局、僕とfromdusktildawnさんで、「コミュニケーション能力」の定義が違うんだと思うんですね。僕は以前、「コミュニケーション能力」を「社会的コミュニケーションスキル」と「情愛的コミュニケーションスキル」に分けて考えたことがあります。

http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/08/post_6a1d.html
「他人を意のままに動かすスキル」としての「コミュニケーションスキル」は、「社会的に」求められているコミュニケーションスキルであって、「家族・恋人に」求められるコミュニケーションスキルとは違うと思う*1。こういった極親密な関係に求められるものは、「包容力」「共感力」「寛容さ」「思いやり」といった「情愛的コミュニケーションスキル」ではないかと*2。

僕のこの記事の言葉を使えば、「コミュニケーション能力」という言葉をfromdusktildawnさんは主に「社会的コミュニケーションスキル」的なニュアンスで捉えていて、僕は「情愛的コミュニケーションスキル」的に捉えている。

で、このふたつはキッチリ区別して考えるべきだというのが、僕の考えです。

でもまぁここらへんは僕個人の感覚の話なんで、「んなこと言っても、実際そんなふうに分けて使われてないじゃん」って言われれば、「そうですね」とニート並のコミュニケーション能力で返すしかないんですが(苦笑)

でも、やっぱり気持ち悪いんだよなぁ、コレ。この「二種類のコミュニケーション能力」を分ける言葉、なんかいいのないかなぁ。


【追記】
ちなみに「社会的コミュニケーションスキル」と「情愛的コミュニケーションスキル」の違いに関しては、スクールカーストに絡めて↓の記事でも触れています。興味のある方はこちらもどうぞ。この記事では、「社会的コミュニケーションスキル」を「自己表現能力」、「情愛的コミュニケーションスキル」を「相互共感能力」と呼んでいますが、意味するところは同じです。

http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/07/post_42a7.html
「相互共感能力」と「自己表現能力」を分けて考えていくと、「相互共感能力(=コミュニケーション能力)」が高いからといって、クラスで人気者になれるわけではないという事実に気付くはずです。

たとえば、「弱者への相互共感能力が高く、相手が傷つくことがわかるため、強い自己表現ができない」タイプの「優しい人」は、スクールカーストでは大抵Cランクです。逆に、「相手の気持ちをまったく考慮しないゆえに、自己表現能力が強い」タイプの人間は、Aランクであることが多い。僕としては、

前者:「コミュニケーション能力は高いが、自己表現能力は低い人間」
後者:「コミュニケーション能力は低いが、自己表現能力は高い人間」

として、区別する必要があると考えています。前者の代表は「優しいCランク」。後者の代表は「自己中なAランク」(キーワード中の『他者をモノのように扱う自己中』)です。

つづく

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*1 「コミュニケーション能力という名の政治力」に長けた企業の偉い方々は、絶対にそんなこと口にしませんけどね。

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» [心理][社会]コミュニケーションスキルが求められる理由 [煩悩是道場]
いま「コミュニケーション能力」は、とても素晴らしい、人生に必須の、まるで魔法のような能力だと思われていますよね?企業が新人に一番求めるものは、ここ数年ずっと「コミュニケーション能力」だし。此処を読んで「わかった」ような気がしました。 何故コミュニケーションスキル(能力)が求められているかというのは、「とても素晴らしい、人生に必須の、まるで魔法のような能力」だからではなく、集団主義的企業が企業として存続していく為にコミュニケーションスキルを持っている新人が欲しい、という事なのではないか、という仮説です... [続きを読む]

受信: 2006年4月12日 (水) 01時14分

» 「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し [分裂勘違い君劇場]
空気読めについての7人種 「空気を読む」という能力について、以下の7種類の人がいる。 (1)空気の奴隷:自分が空気を読む能力が低いことを自覚しており、自分の思い通りに空気を操ろうとするとけがするので、空気に媚びへつらって集団に受け入れられようとする人 (2)はずしてる奴:空気を読む能力が低いくせに、無神経な発言をして、みんなの顰蹙を買うやつ (3)サーファー:空気を読む能力が高く、サーファーが波を乗りこなすように、空気を自在に乗りこなす人 (4)空気の操縦者:空気を読み、乗りこなせるだけでなく、... [続きを読む]

受信: 2006年4月12日 (水) 18時16分

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ま た コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 能 力 か とか言われそう、かつ、web全般、また実社会において今更感漂うが、書いておかないと、erodarkの脳みそから「インプットされた情報まみれで、脳みその容量が不足しています。どっかにアウトプットしないと、また鬱... [続きを読む]

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