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2006年6月16日 (金)

恋人選びは『好意』ではなく『セックス』で決まる。ゆえにすべての恋愛論は、『愛情論』ではなく『欲望論』である。

【男→女の場合に関しては、『愛せよ、されば愛されん』は大嘘!】

モテ非モテと言うけれど
実践的愛され研究その1

このへんの記事にある、「愛せよ、されば愛されん」「見返りを求めない好意を与えれば、好意が返ってきやすい」という意見。コレ、大概のケースではそのとおりだと思うんですが、好意のベクトルが「男→女」の場合は例外だと思うんですよね。

……というのも、女性には「妊娠」という「男性の好意を受け入れるリスク」があるからです。異性の好意を受け入れるということは、その異性とセックスする可能性が高まるということです。これは女性にとって、「妊娠させられる可能性が高まること」とイコールなのです。

ゆえに女性は、男性の好意に対して簡単に好意を返すわけにはいかない。慎重に「好意を返して構わない男性」を選別する必要がある。これは恐らく生物学的に女性の本能に組み込まれている機能で、「嫌いな男」からの恋愛的アプローチに対し、女性はそれこそ心の底から生理的嫌悪感が沸いてくるのです。

逆に男性はこのへんのリスクが低いので、女性から好意を抱かれると、簡単にコロッとまいってしまう*1

  • 「生理的に受け付けない」という言葉を使うのは女性ばかり。
  • 男のほうが非モテになりやすい。
  • 男の非モテは誰からも愛されないことを嘆くが、女の非モテは嫌いな人間にしか愛されないことを嘆く傾向がある。
  • ストーカーには男が多い。
これらの傾向は、すべてこの男女の非対称性で説明できます。女性にとっては、「誰からも好かれないこと」よりも、むしろ「嫌いな男性に好かれること」のほうが恐怖であり、嫌悪感の対象なのかも知れません。


【友達は好意で決まる。恋人はセックスで決まる】
「恋愛」には、ほぼ例外なく「セックス」が絡んでくるので、女性の恋人選びには、これまで書いたような「望まない妊娠」の恐怖が常に付きまとってきます。

ゆえに女性にとって、「友達の基準」と「恋人の基準」はまったく異なります。友達は単純に「この人が好きか嫌いか」で決まりますが、恋人は「この人とセックスしたいか(あるいはしてもいいか)」が決定的に重要になってくるのです。

彼女:
「男の人ってたまに、凄い『男の眼』でセックスの対象として女の人のこと見てくるのね。友達だと思ってる人にああいう眼で見られると、ダメ。気持ち悪い。生理的に受け付けない。だから、セックスの対象として私を見ない人となら、友達になれるよ」

俺:
「でも俺、○○(彼女の名前)のこと『男の眼』で見てるけどなぁ」

彼女:
「Masaoは彼氏だから良いの!(はーと)」

これは、「友達にできる男とはどんな男か?」という話題になったときの僕と彼女の会話ですが、この会話がまさに、女性にとっての「友達」と「恋人」の決定的な違いを、雄弁に物語っています。女性にとって、「好意はあるけど、セックスはしたくない異性(=友達)」と「好意があり、セックスもしたい異性(=恋人)」の間には、マリアナ海溝よりも深い溝がよこたわっているということです。

電波男で主張された「池鶴関係」*2も、「友達基準」しか満たしていない男性が、「恋人」にランクアップしようとしたがゆえに起きる悲劇です。現代の男女関係では、「あなたと恋人になりたい」という表明は、「あなたとセックスしたい」という表明と、まったく同じことですから。そして女性は、「妊娠」というリスクがあるために「生理的に受け付けない人間」とは絶対にセックスできず、それゆえ恋人になれない生き物なのです。


【『愛』と『恋愛』は違う】
これまで書いてきたように、「セックス」というファクターがある限り、恋人が「好意の有無」という単一の評価軸だけで決まることは、決してあり得ません。必ずなんらかの「欲望」が恋人選びに絡んできます。

これは、「妊娠」というリスクを持つゆえに、相手の選別を慎重に行う必要のある女性に特に強い傾向ですが、男性も多かれ少なかれ同じ傾向を持っています。

つまり、「愛」と「恋愛」は違うということです。もし「見返りを求めない好意」を「愛」と呼ぶのであれば、「恋愛」はそれとは対極に位置した営みだといえるでしょう。これは、「恋愛」が「セックス」を孕んだ概念である限り、逃れられない宿命です。「恋愛」において、「無償の愛」など存在しないのです。

ゆえにすべての恋愛論は、「愛」ではなくむしろ「欲望」に関する議論と親和性が高い*3。これは、非モテ論も例外ではありません。

非モテを語る者に対し「愛せよ、さらば愛されん」と「愛」について説くことは、論点がズレています。なぜなら彼・彼女等は、「愛」について嘆いているのではなく、「欲望」について嘆いているのですから。

「非モテ論を含んだすべての恋愛論は、『愛情論』ではなく『欲望論』である」

これは、すべての論者が恋愛論を語るうえで、覚えておくべき事実でしょう。そして非モテ論とは、「欲望されない男女」あるいは「望まない欲望のされ方をする男女」による恋愛論なのです*4

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*1 女性からの好意を「迷惑」「キモい」と感じる男性は少ない。もちろん僕も含めて(参照)。

*2 「池鶴関係」についてわからない人は、ここの id:nisoku2 さんのコメントを参照。

*3 ちなみに僕が考える「欲望系恋愛論ブログ」の代表は、 id:noon75 さんの「セックスなんてくそくらえ」です。

*4 そして前半で書いた男女の非対象性から、前者には男性が、後者には女性が多い。

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2006年6月10日 (土)

他人が面白いと思わないことでカネを取るのは、他人への裏切りだ。自分が面白いと思わないことでカネを取るのは、自分への裏切りだ。

【自分がオモシロイ!と思うモノでカネを取る VS 他人がオモシロイ!と思うモノでカネをとる】

・日々書きつづられている。 - 今日の吉田さん http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060609/1149847658

自分でオモシロイ!と思えないようなもんで金をとったらアカン!楽して金もうけできる思ったら間違いや!そのためには納得がいくまでつきつめなくてはならないのだ。至極、まっとうだ。大体、自分に自信がないものを世に出すとロクなことがない。これはそのうち大事をするための仮そめの私…なんてスペア作って生きてると人生の無駄としか思えないのでなるべくそういうことはしたくないんだ


http://b.hatena.ne.jp/entry
/http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060609/1149847658

・partygirl (*^ー゚)ノ ♡, あげあしとり 『自分でオモシロイ!と思えないようなもんで金をとったらアカン!>どうだろ・・・他人が面白いと思わないもので金取ったらアカンとは思うけど』


僕的には、
  1. 自分でオモシロイ!と思うが、他人がオモシロイ!と思わないもんで金をとる……他人への裏切り
  2. 自分でオモシロイ!と思わないが、他人がオモシロイ!と思うもんで金をとる……自分への裏切り
  3. 自分でオモシロイ!と思うし、他人もオモシロイ!と思うもんで金をとる……理想
  4. 自分でオモシロイ!と思わないし、他人もオモシロイ!と思わないもんで金をとる……あらゆる意味で失敗
って感じかなぁ。

理想は3なんだけど、これっていうのは時代の流れと自分の相性ってのがあるから、狙ってできるようなもんじゃない。2は確かにカネ出した人は幸せになってるんだけど、自分としてはつまらないし、「ホントにそんなもんで良いんすか?」みたいな変な罪悪感に見舞われてしまいそうだ。

だから僕は、1の「自分でオモロイ!と思う」モノやコトをやることを基本にして、それに共感・賛同する人からだけカネを取るっていうのが理想だと思ってる。で、運がよければ3がついてくる、と。最初から3を目指すのは、なんか違うんじゃね?

カネはとってないけど、自分がブログ書いたり服装決めたりするときは、基本こんな感じで考えてるなぁ。

ただ、「カネを取る」が「生活の糧を得る」レベルにまでなってしまうと(=職業になってしまうと)、なかなかこういうことは言えなくなるけどね。だからモノ作って自分を裏切りたくない人は、プロにならずにアマチュアでのんびり自分が好きなことやってりゃいいんですよ。みんな、岡田斗司夫の「プチクリ!」読むといいよ。

プチクリ! プチクリ!―好き=才能!
出版社/メーカー: 幻冬舎
発売日: 2005/12
メディア: 単行本
http://d.hatena.ne.jp/asin/4344010825


僕は世のあらゆる文化は、作り手が種を蒔いて、受け手が育てるもんだと思ってるんですよ。そして、文化が育つ場所っていうのは、商業主義の届かない場所であったほうが、多様性が出て面白い。

クラブ、ゲーセン、ネット……僕が好きなこれらの場所はみんな、
・受け手が
・商業主義でない場所で
・自分がオモシロイ!と思うことをやって
育ててきた文化。だから僕は、これらの文化は「オモシロイ!」んだと思うんだよなぁ。

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