女性にとってセックスとは、究極的には「暴力」でしかあり得ないのだろうか?(もしかして)
【あぁ、女性の『異性として見られない男性から性的対象として見られることに対する嫌悪・恐怖感』は、こう考えれば良かったのか】
| ・セックスする友達というのなら文句は言わんが http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070116/p1 悪いですが、僕は、自分の裸をみて勃起する危険性のある男とは友達になれません。一緒に寝てたら、夜中のベッドに入り込んで、体中さわりまくるような男も論外です。危険すぎるからです。 ですから、男女の友情は基本的に成立しえないというのです。危険なんですよ。性欲の対象として見られてしまうんだから。 |
ひざポン。以前から書いているように、僕は女性からしばしば聞く「異性として見れない男性から、性的対象として見られることに対する嫌悪・恐怖感」(一例)が理解できなかったんだけど、↑を読んだら非常にすんなり納得できた*1。
つまりこれは、セックスが根源的に孕む「攻め側の暴力」に対して受け側が感じる恐怖・嫌悪なのかと。つまり「女性にとっての異性として見られない男性」と対になるのは「異性愛男性にとっての同性愛男性」ということになる、と。レイプ・痴漢に対する男女の感覚差と同じ話なわけね。
| ・レイプ・痴漢の非対称性 http://d.hatena.ne.jp/sivad/20060507#p2 性暴力の犠牲になった女性の対称として、男性が女性にレイプ・痴漢されてもイヤじゃないなどという話をしばしば見かけます。 思うに、これは性暴力の「異性性」を過度に評価しているのではないでしょうか。 実際に苦痛や恐怖を感じるのは、「異性性」に対してではないと思います。 恐らく 1.自分より強く大きい者に ことが苦痛や恐怖の源泉なのでしょうから、例えば男性がレイプの恐怖を想像しようとするならば、「痴女に襲われる」のではなく、「屈強な男性に犯される」ことを考えるのが「対称」としては妥当といえるでしょう。 |
確かに異性愛者である僕も、それまで友人だと思っていた「攻め」の同性愛男性に告白されたとしたら、「異性として見れない男性から告白された女性」と同じ様に「友人としてはいいけど、恋人としてはちょっと……」ということになってしまいそうだ。「恋人になること」と「セックスパートナーになること」が殆どイコールになる、現代の恋愛関係を念頭に置けば。
僕はこれまで女性が感じるこの「恐怖」を、「望まない妊娠に対する恐怖」と考えていて、確かにそれは女性特有の恐怖としてあると思うんだけど、もっと根本的にはこの「攻め側の暴力に対する受け側の恐怖」があって、それにプラスして女性の場合には「望まない妊娠に対する恐怖」があると考えるのが自然なのかなぁ、と思った。
【セックスは女性にとって、『暴力』でしかないのだろうか?】
もし、ここまで書いたことが正しいとしたら、異性愛男性の僕にとって疑問なのが、
- 女性は「攻め」を「暴力」として捉えることなく受け入れられる相手(恋愛しても良い相手)をどうやって選別しているのか。
- そもそも女性にとって「暴力」と感じられないセックスなんてものが、存在するのか。
この心理は、セックスにおいて必然的に「攻め」の役割を担うことになる、異性愛男性の僕にとって、根源的には理解できないもののような気がする。この点については、女性に意見を聞いてみたい*2。
フェミニズムを学ぶ男性は、自分に課せられた「能動」のセックス・ジェンダー双方の役割において、女性に対する深い罪悪感を感じるようになるという話をよく聞く。その罪悪感の背景には、性関係における「必然的暴力」に対する罪悪感が存在するのかも知れない。
もし女性にとって、性関係が根本的には「暴力」でしかないのだとしたら、その「暴力」を女性に受け入れさせている(あるいはそのように見せている)「力」は一体なんなんだろう。男性中心社会の規範制度?子孫を残せという遺伝子の命令?「恋愛」というイデオロギーによる洗脳?
僕にはよくわからない。
ただひとつ言えることは、これまで人類が子孫を残し、生き残ってきたということは、女性がなんらかの理由で男性からのセックスという「暴力」を受け入れてきた、あるいは受け入れさせられてきたということだ。
*1 烏蛇さんと議論したりしたけど、結局感覚的に理解できなかったんだよなぁ。
*2 もしかして、僕が「受け」として「攻め」の同性愛男性と恋愛関係になって、相手に「攻め」させても良いと考えられるような感情を経験すれば、理解できるようになるんだろうか?
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