「人間」とは両想いが可能だけれど、「趣味」には片想いしかできないという決定的な違い
【渋谷カレーオフで、リアル揉め事発生!?】
・よっぱらい研究所@はてな - antihop - 渋谷 DERORI
・Twitterでナンパされて会ってきた - CROOK
↑でオフレポが上がってきている、はてなカレーオフに参加。僕的には、「いつもの人」化しているクリルタイ周辺とは一味違った面々と、新鮮な感覚で楽しむことができた。
他の方のオフレポでも触れられてるように、僕は花見川さんとガチンコ議論。テーマは「キミ等、脱オタしてまでモテようとする必要はあんの?問題」。花見川さんが脱オタ否定派、僕が「そりゃあやらずに済むならそれに越したことはないけどしょうがないのよ」という消極的肯定派で、この日の渋谷DERORI は、ハンドアックス飛び交うガンダムばりの激しい空中戦の戦場に。
- [ハナミ・レイ]
人間は、自分が信じる道を進めばいつかは認められるんだ!「モテ」なんかのために望まない道を選択する脱オタなど、認めない!(ドギューン!!)*1 - [マサオ・アズナブル]
聞いたようなことを言う…世間は、オタクたちのエゴ全部を飲み込めやしない。(バッシャァァァァ!)*2 - [ハナミ・レイ]
オタクたちの知恵は、一般人との文化の違いだって乗り越えられる!(ブオォォォン!)*3 - [マサオ・アズナブル]
ならば今すぐリア充どもにオタク文化の価値を認めさせてみせろ!(ドガシュゥゥゥン!バリバリバリバリィッ!!)*4
ネット社会では大人気の揉め事も、リアルでやるとドン引きらしく、すぐ隣にいたへぼめがねさんはビビりまくり、到着したばかりのlegnumさんのほうへと逃げて行ってしまった。ごめん。でもnarukamiさんは面白そうに話を聞いてて、女性は強いなぁ、とか思った。
議論のほうは最終的に、「脱オタはモテることが目的ではなく、コミュニケーションの幅と、自分の世界を拡げることが目的なんですよ」ということを共有する方向へ。最後は「なかなかやるじゃねぇか」「お前もな」と、川原で夕日を見ながらガッチリ握手でお互いの友情を確認し合って終了。めでたし、めでたし\(^o^)/
【承認欲求を満たしてくれるのは人間だけ】
帰りの電車が花見川さんと一緒だったので、議論の続きで「自分が価値を感じていること(今回の場合はオタク趣味)が他の人間からは認められない辛さ」みたいなことを話してたんだけど、そこで花見川さんが興味深い一言を。
「でも僕だったら彼女がいたとして、それが凄いブサイクで周りの友達みんなから笑われても、自分が満足できてればそれで良いと思いますよ」
ほう、と。僕はそれまで、「彼女」と「趣味」を同列に考えたことがなかったので、花見川さんのこの考え方は新鮮で、驚いた。確かに「彼女」だったら僕も花見川さんと同じように感じる。これは考えたことのないテーマだったので、しばらく考えた後で、こんな感じのことを返した。
「『彼女』は人間だから、愛し返してくれるじゃない?でも『趣味』は自分から愛すことはできても、愛し返してはくれないのよ。非モテ話ではよく『承認欲求』の話が出てくるけど、『承認欲求』を満たしてくれるのは人間だけ。そこが『人間』と『そうじゃないもの』との違いじゃないかなぁ。『承認欲求』が満たされていないから、非モテは『人間』を求めるのよ」
簡単に言えば、「趣味」相手には片想いしかできないけど、「人間」とは両想いになれる可能性があるってこと。それが、「人間」と「そうじゃないもの」との決定的な違いだってこと。「彼女」は「趣味」と違い、向こうの方からこちらの「承認欲求」を満たしてくれる。だから、他の人に認められなくても平気でいられる。
花見川さんと別れてから、なんで花見川さんは「趣味」と「彼女」を同列に考えることができて、僕は考えたこともなかったんだろうと考えてみたんだけど、これは花見川さんにとって「承認」は空気のように当たり前に得られるものなので、両者の違いを意識したことがなかったってことなのかも知れないな、と思った。
【『ありのままの自分』のままで承認されるという感覚】
↑に書いたように、人間は「愛し合う」ことができる点が、趣味とは違う。でも、人間を相手にすることには「愛したのに、嫌われる」というリスクも同時に付きまとう。これも、人間特有の要素。趣味はこちらが一方的に選ぶものだけど、人間は向こうからも「選んでくる」。
人間にとって、友人や彼女は一緒に居るだけで「承認欲求」を満たしてくれるものなんだけど、これは相手が自分のことを「選んでくれた」という感覚を感じるからなんだよね。
で、様々な理由で友人や彼女に恵まれず、承認不足に陥ってしまった人にとって「友人や彼女」や、それを通じた承認っていうのは、気がつけばそこにある空気のように自然なものではなく、「勝ち取る」ものになる。「ありのままの自分」では、周囲の人間に選んでもらえないという感覚が、これまでの人生経験を通して身についているから*5。
これに対して花見川さんは「人間は、自分の信じる道を進めばいつかは認められるんだ」と言う。これは、花見川さんが自分の人生を通じて得た感覚なんだろうと思う。
でも僕のように「ありのままの自分」を通した結果承認不足に悩み、脱オタすることによって初めて承認欲求を満たすことができたような人間には、残念ながら花見川さんの言葉は届かない。それどころか、妬ましさすら沸いてくる。非モテ界隈で大人気の、↓の文章のように*6。
| ・はてなブックマーク - 今月の放言 本谷有希子 「自分を受け入れてもらえる環境で育ったんだろうなあ」って。拒否される怖さを知らない人間をみると、憎しみが沸いてくるんですよ(笑) |
そして僕は、人類への絶望とルサンチマンの権化マサオ・アズナブルと化し、叫ぶわけだ。「ならば今すぐリア充どもにオタク文化の価値を認めさせてみせろ!」と。そうすれば僕は「ありのままの自分」のままで、他者からの承認を好きなだけ得ることができるのだから。
【余談】
ちなみに精神分析や心理学の分野では、こうした「ありのままの自分が認められる」感覚を空気のように自然な感覚として感じることができるようになれるか否かは、幼少期の両親との関係が大きく関係していると考えられているとか。
花見川さんのブログでは、花見川さんが両親を尊敬してるんだということがよく分かる文章をときどき見るんだけど(これとか)、花見川さんの今日書いたような感覚には、このへんがあるのしてるのかも知れないなと、勝手に想像しています。
花見川さんだってこれまでの人生の内で人間関係の様々なトラブルで「ありのままの自分」が承認されないということもたくさんあったんじゃないかと思うんだけど、それでも「人間は、自分の信じる道を進めばいつかは認められるんだ」と感じることができる根拠には、こういう親との関係が大きく影響しているのかもな、と。
*1 ビームライフルを発射したSE。
*2 IフィールドでビームライフルをはじいたSE。
*3 ビームサーベルを抜いたSE。
*4 ビームサーベルがぶつかり合って、なんか稲妻とか出ちゃってる感じのSE。
*5 ちなみにこの「ありのままの自分では他人に相手にされない」という感覚をあまりにも強く内面化してしまうと境界性人格障害(『エヴァ』のアスカみたいなヤツ)などの症状が発症してしまうらしい。
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