スクールカーストは、現代社会に浸透した「人格崇拝」と、そこから必然的に発生した「予防的やさしさ」が根っこになっていたんだよ!
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)
作者: 森真一
出版社/メーカー: 筑摩書房
発売日: 2008/01
メディア: 新書
【この本は、凄すぎる】
・こどものもうそうblog - 「適応」と『ほんとはこわい「やさしさ社会」
↑で、あまりにも面白そうに紹介されていたので読んでみた。
……[これはすごい]。ホントにメチャクチャ面白かった。ブログで紹介してくださっていた、米光一成氏に感謝。
著者の森真一氏は社会学が専攻だそうで、たぶん理論のベースは社会学なんだろうけど、身近な例を出し、学問的なことを一切意識しないで読める工夫がされている。とても読みやすくて分かりやすい。文章量も程ほどで、もの凄い遅読の僕でも半日で一気に読み終えることができた。これは是非とも、いろんな人に読んで欲しい一冊。
【『イエ崇拝』から『人格崇拝』へ】
この本によると、明治時代頃までの日本人は「イエ」を「聖なるもの」と考え、コレを守るために生きてきた。ところがその後の近代化によって「イエ」が解体。換わって戦時中は「国」が、戦後の高度経済成長期は「企業」が、守るべき「聖なるもの」として君臨。日本人は、自分よりもこれらを優先し、自我を抑えて生きてきた。
しかし不況期に入り、リストラ等企業の「裏切り」によって企業の「聖性」も解体。後に残ったのは個人の人格だけ。こうして現代社会は自分の他に守るべきものもなく、「(自分も含めた)個々人の人格」を「絶対不可侵な聖なるもの」として崇める社会になっているという(人格崇拝)。
その結果どういうことが起こっているかというと、個人間の過剰なお互いの尊重。個人個人が「絶対不可侵な聖なるもの」だから、「他人を傷つけること」は絶対悪とされ、社会的に最も許されない行動となる。
【人格崇拝から必然的に発生する『予防的やさしさ』】
でも、人格にはそれぞれ個性がある。笑いのツボも怒りのツボも、みんな違う。何が相手を喜ばせ、何が相手を怒らせるのか、厳密にいえばやってみなければ分からない。
たとえば電車で老人に席を譲るとき。「身体が弱って苦労しているのを察し、席まで譲ってもらえて嬉しい」という人もいれば、「老人だとバカにするな!」と傷つき、怒り出す人もいる。これは、実際に「席を譲る」という行動を起こしてみるまでは、わからないこと。
「他人を傷つけること」が絶対に許されないこととなった現代、ここで迂闊に老人に席を譲って傷つけることは、「悪いこと」だということになる。それがたとえ善意からの行動だったとしても。その結果、個人がとりうる「相手を傷つけない」ための最善の選択は「席をゆずらない」ことだということになる。それが「やさしさ」だということになる。
| 立ってあげようかなって思ったけど、最近のお年寄りって元気な人、多いじゃないですか。<中略>このオジイさんも年寄り扱いしたら気を悪くするかなぁ、なんて考えてたらァ、立つのやめた方がいいか、なんて考えてェ、寝たふりしちゃったの。<中略>寝たふりしたのはねぇ、私たちのやさしさ分かんない大人とかが、「この子、席も立たないで」みたいな目つきでジロジロみるからなのよ。 ほんとはこわい「やさしさ社会」 P.48 |
これが、この本で「予防的やさしさ」という言葉で書かれている現象だ。「予防的やさしさ」の根底には、「相手を傷つけてしまってからではもう遅い。相手を傷つける可能性をすべて未然に取り除き、予防しよう」という潔癖ともとれる思考が流れている。
【対等原則】
現代社会に浸透した「人格崇拝」は、「予防的やさしさ」から派生した、様々な現象を引き起こす。
そのひとつが、「対等原則」。個々人が「聖なるもの」であり崇拝の対象である現代、個人間に「上下関係」を持ち込むことは悪とされる。特に友人関係のように、社会的にも「対等」とされている関係ではなおさらだ。
でも、個人が完全に対等であることは、実際のところありえない。頭のよさ、美醜、才能、全てが違う。
でも、現代人には「個人間は対等」であり、かつ「絶対に相手を傷つけてはならない」という命題が与えられている。この命題を過剰に守ろうとした場合、個人の「才能」は、相手に劣等感を与え、傷つける要因になりかねない危険なものとなる。また、才能を持った優越感を感じる側も、「本来対等であるハズの友人に劣等感を与えてしまい、申し訳ない」と、心苦しい気持ちをもつようになる。
その結果、こんな女子高生が登場してくる。
| その高校生は、友人とプリクラを撮るとき、わざと顔をゆがめて「ブス」に写るようにするそうです。友人が周囲のひとにプリクラをみせるとき、傷つくことがないように考えてそうするのだ、とテレビでは話していたそうです。 ほんとはこわい「やさしさ社会」 P.27 |
よくわからない行動だと思うかも知れないけど、たとえばこの女子高生(A)と一緒にプリクラを撮った友人(B)が、第3者(C)にこのプリクラを見せたときのことを考えてみよう。
このとき、「このAさんって人、超可愛いね~」などとCに言われたら、Bは「私はAよりブスなんだ」と傷つくかも知れない。コレを未然に防ぐためにAは「予防的やさしさ」を働かせ、わざと自分を「ブス」にしたのだと考えれば、この行動は理解できる。さらにこの行動には、A自身が「Bよりも美人」であることによって感じる「対等ではない」という負い目を防衛しているという面も同時に存在する。
この「対等原則」がどういうことを引き起こすかというと、「同質なグループの構成と、グループ間の断絶」。つまり、お互いがお互いの劣等感を刺激しないように、あるいは優越感を感じさせて気まずい思いをさせないように、同程度の「レベル」(容姿、学力、人気等)の人間で固まるようになる。
お互いが、相手を傷つけないための「予防的やさしさ」から。
【キャラ的人間関係】
「予防的やさしさ」のもうひとつの例が、「キャラ的人間関係」。
電車で老人に席に譲る例のように、「個性を尊重すること」と「相手を傷つけないこと」を完全に両立することは、非常に難しい。というより、不可能。
ただ、そうした状況の中でも、コミュニティの構成員がそれぞれ何らかの「キャラ」を担当し、予定調和的に振舞えば、「絶対不可侵な個性」からくるコミュニケーションの不確実性を軽減させることができる。
「ボケキャラ」、「突っ込みキャラ」、「天然キャラ」、「いじられキャラ」……「キャラ」には、様々な形態があるが、「役を割り振られ、それに応じた振る舞いをコミュニティから期待される」という意味ではどれも変わらない。各人が自分のキャラを好演している限りコミュニティの秩序は保たれ、誰も傷つかない楽園が維持される、というわけ。
でも、この楽園にも欠点はある。人間はいつだって同じような気分を保っていられるわけじゃない。「ボケキャラ」の人だって落ち込むことはあるし、「天然キャラ」だって真面目な話をしたいこともある。でも、「キャラ的人間関係」ではこういった逸脱は許されない。キャラの揺らぎはコミュニティの混乱を招き、「他人を傷つける」という、最悪の結果を呼び寄せかねないから。こうした自分の意思と関係なく「キャラ人格」を要請される人間関係は、とても疲れるものとなる。
「キャラが被る」という問題もある。「キャラ的人間関係」は「対等原則」を守ることにも都合が良い。「キャラ」は、「才能」のように上下のある「縦の関係」ではなく、平等な「横の関係」だとされている(建前上は)。「キャラ」の間に上下関係はなく、「対等原則」は揺るがない。既に「同質グループ」に分かれた後のコミュニティで「キャラ的人間関係」が構築されれば、それはますます磐石なものになる。
でも、「キャラが被る」人間が、グループ内に存在したら……?そこでは同キャラ間の「質」を巡った競争が展開され、縦の関係が構築されることになる。「対等原則」はもう守られない。「神聖不可侵」であるこの私の自尊心が傷つけられてしまう。このため、「キャラ的人間関係」の構成員は、グループメンバの入れ換わり等で「キャラが被る」ことを非常に恐れるようになる(そして、ますますグループの固定化は進んでいく)。
あと、この本ではあまり触れられていないけど、「汚れキャラ」の問題もある。さっき「キャラは横の関係だとされている」と書いたけど、「建前上は」と付け足したように、実際にはキャラ間の扱われ方には格差がある。
「いじられキャラ」は、自分の体調や精神状態に関係なく、芸人でもないのに常にコミュニティからいじられることを要求され、ストレスを溜め込みやすい。最初は「キャラいじり」だったものがいつの間にかエスカレートし、「いじめ」に発展することもあるだろう。*1
こういった危険があるため、「汚れキャラ」に落ちないよう、コミュニティの各構成員は激しいキャラ争奪戦を繰り広げることになる(高校デビュー!)。「キャラ」は、「建前上は」各人が自分の適正に合わせて選択した「自己責任」ということになっているから、一旦「汚れキャラ」に落ちたが最後、後から文句を言っても「自分が好きで選んだキャラなのに、なに言ってんの?」で済まされてしまう。
さらに、「汚れキャラ」本人にも、「コミュニティの秩序を乱してはいけない」という「予防的やさしさ」から来るプレッシャーがかかる。「キャラ換え」するにも罪悪感がのしかかる。また、コミュニティ側も秩序を維持するために「汚れキャラ」を必要としているため、「汚れキャラ」を簡単に手離すようなこともしない。
こうして一旦「汚れキャラ」に落ちたが最後、コミュニティが解散するまで「汚れキャラ」はコミュニティの重力に引かれ、汚れ役を引き受け続けることになる……。*2
【まんまスクールカーストじゃん!】
と、ここまで書いて、僕の文章を昔から読んでる人はすぐに連想すると思うんだけど……コレ、まんまスクールカーストの構図なんですよね。「スクールカースト」という名前が付けられていないだけで。
分からない人は、こちらを参照。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%AF%A1%BC%A5%EB%A5%AB%A1%BC%A5%B9%A5%C8
昔僕が↑で書いたスクールカーストの文脈で言えば、「対等原則」から来るグループ分断はABCのグループ分けだし、「キャラ的人間関係」は「キャラ強制圧力」。何も付け足すことがないくらいにもう、僕が実際に学生時代に体験してきたスクールカーストそのまんま。
その理由を現代社会に浸透した「人格崇拝」やそこから産まれる「予防的やさしさ」に求めるというのはびっくりしたけど、現代社会が「個人の人格」を「絶対不可侵な聖なるもの」とみなしているというのは、確かにそういう感じがする。
ここまでこの本の内容をスクールカーストの観点から要約して書いたけど、実際には各項はもっと密接に絡まりあっているし、省略した部分もたくさんある。
- 「キャラ的人間関係」が「お笑いの世界」を模したものになっている背景には、「人格崇拝」から来る「自分の人生を最大現に活かさないと損!」という「楽しさ至上主義」がある
- なぜ「人格崇拝」がここまでの力を持つのかといえば、「公式ルール」(例:道路交通法)と「非公式ルール」(例:空気嫁やマナーのような、暗黙のルール)の強制力の違いがある。非公式ルールのほうが強制力が大きい。*3
- 人格を「神聖なもの」として他者に扱ってもらうためには、相応の「メッセージ」を発する必要があり、社会もそれを非公式ルールとしてそれを求めている。
- 現代人は「コミュニケーション能力」やら「他者への想像力」やらが「低下」しているとよく言われるが、実際にはそうした能力への期待がかつてない程にに高まっており、求められる水準が上がったと考えるのが正しい。
などなど。
まぁなんにしろ、スクールカースト周辺に関心を持っている人には、いろんな気付きがある一冊だと思います。超おススメ。
*1 小説「りはめより100倍恐ろしい」は、「いじられキャラ」へのいじりがエスカレートして「いじめ」に発展する様をリアリティある描写で描いている(参考)。
*2 「汚れキャラ」の問題については、「白田秀彰の「インターネットの法と慣習」 第20回 意思主義とネット人格・キャラ選択時代」に興味深い考察が載っていたんだけど、残念ながら今は読めなくなっている(はてぶ)。
*3 「殺人」なんかは、「公式ルール」でも「非公式ルール」でも禁止されてるから、強制力最強っぽい。
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受信: 2008年2月22日 (金) 16時54分
» スクールカーストってなんぢゃ? [ブログ de なんで屋 @東京]
こんばんわ。
ブログDEなんで屋ファンのみなさまも、一度は耳にした事があるであろう、「スクールカースト」という言葉。
言葉の印象からしても、あまり良いイメージは抱けませんね。
簡単に言えば、学校という空間における「人気のヒエラルキー」で、中学・高校あたりで顕著に表れる現象なんだとか。
そこで、今日はこの現象の本質に迫ってみたいと想います!... [続きを読む]
受信: 2008年3月 4日 (火) 23時43分
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受信: 2008年3月30日 (日) 21時44分






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