2007年3月24日 (土)

恋人が「売春婦になる」と言い出したら、僕ならどう応えるか

【今日もはてなムラは平和……ではなかったらしい】
しばらく出かけて久々にネットに帰って来たら、はてな界隈では売春婦差別の話題でもちきりだったらしい。僕の目に入った範囲で一番共感できたid:inumashさんの記事のコメント欄とかその周辺で、

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070316/p1
素朴な疑問
『inumashさんはあなたご自身の彼女さんや奥さんが売春をしても肯定できる、我慢できる、ということなのでしょうか。あなた以外の、不特定多数の男に身を預けても? どんなに恥ずかしい姿を晒しても?』

というような話が出ていて*1、僕はならどうするかなぁと考えてみたので、この話題に的を絞って個人的な話を書いてみる。本題となっている差別そのものの議論については、頭の悪い僕には考えがまとまらないので、とりあえず置いといて。


【恋愛は、あくまで二者間の契約の問題です】
僕個人は独占欲がだいぶ低い人間なので、彼女が売春しても我慢できるだろうと思う。ただし、「俺も風俗行ったり他の女の子と自由にセックスするけど、良い?」という条件を出すけど。そこで「私は売春するけど貴方はしちゃダメよ」というダブルスタンダードを持ち出されることは、恋人が売春すること以上に僕の価値観では許容できない*2

僕は恋愛は、あくまで二者間の関係性の問題だと考えているので、この「契約」が成立するならば、僕としては相手が売春したいと希望しても、実際にしても、なんの問題もない*3

僕がいまの彼女とこの「契約」を結んでいないのは、彼女がこういったことを酷く嫌う価値観を持った人なので合意が得られず、交渉が成立しなかったからに過ぎない。もっともこの交渉が成立しなくても、僕と彼女は付き合うことでお互いがいろいろなメリットを受け取っているから、「恋愛」という「契約」は成立しているけど。恋愛関係が破綻するときっていうのは、このパワーバランスが崩れたときなんだろうと思う。

で。

「社会的な差別」を語っている場で「あくまで二者間の交渉の関係性の問題」である恋愛を引き合いに出して相手に詰め寄るのはなんか間違ってるし、フェアな行動でもないよなぁというのがこの手の発言をしている人達への僕の印象。

恋愛という関係においては、二者間の「契約」が成立すれば、売春も浮気も共依存も心中も、その他あらゆる恋愛に関する行動はすべて、他人が口を出すようなものではないと僕は思っています。


【念のために予防線】

僕は恋愛は、あくまで二者間の関係性の問題だと考えている

僕がこういうこと書くと、非モテと社会の問題を関連づけた記事をしょっちゅう書いてるお前がどの口で……みたいなことを思われそうなので、一応予防線を。僕は、非モテは社会的に
  • 恋愛ができないことに対する侮蔑(ラブハラスメント)。
  • 「『恋愛は誰にでもできる」「恋愛は素晴らしい」という欺瞞的信仰に基づいた決め付け(恋愛説教厨)と、それを内面化させられてしまうという自己卑下の問題。
  • モテる者とモテざる者の間の、理不尽と感じられる程の恋愛格差。
といった社会的抑圧を受けていると考えているけど、それは「恋愛に対する社会の偏見」の問題であって、個人が「恋愛関係」をどのように構築するかとはまた別の話。


いったん恋愛が始まってからは、それはあくまで二者間だけの個人的な問題だと僕は考えています*4


【追記】
書き終わってからふと感じたんだけど、僕が恋愛をあくまで「契約」の問題にしたがることの背景には、「愛」に対するコンプレックスやルサンチマンのような、負の感情があるからなんじゃないだろうか?「愛」という概念に対する盲目的信仰には、どうも胡散臭いモノを感じてしまうんだよなぁ。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070317#1174057491
私は、私の身内や大切な人に可能な限り売春をして欲しくないと考えるので、必然的に売春をする人の差別者にならざるを得ないと認識しています。

「くるさりんど」の瀧澤さんが最近↑の辺りで書いているように、愛が「あなたを赤の他人より優先します」という差別を根源的に孕んだものなら、愛なんていらなくね?「愛はないけど差別もない社会」のほうがマシじゃね?そこは信仰するとこじゃなくて、相対化するとこじゃね?とか、どこかで思ってるところが僕にはある気がする。

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*1 たまたま代表として「素朴な疑問」さんに登場していただいたけど、似た話は他にもチラホラ見かけた。

*2 あぁ、あと「避妊はちゃんとしてくれ」って言う。他人の子供を育てるのは嫌なので。

*3 たぶん。ただ僕は実際にこういった経験を持ったことがないので、「体験してみたら意外にショックだった」となる可能性は否定しない。

*4 まぁ、結婚とか考え出すと、家族のしがらみとか二者間だけでは収まらないことが増えてくるわけですが。

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2006年1月21日 (土)

モテにおいて、「外見」が絶対的な価値を持つなら、「お洒落がモテの主要因であることは、正しい」ということになるんじゃないかなぁ?

【お洒落はモテの主要因ではない(?)】

・非モテの粉飾決算への対処法
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060119/1137656621

・価値観押しつけられ恐怖症(よ、よ、抑圧すんじゃねーよ、このやろううう(涙目)!!!)
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060120/1137749952

かなりの長文で、すべて理解できたわけではないんですが、fromdusktildawnさんの主張のポイントは理解できたと思うので、失礼ながら突っ込ませていただきますね。僕が理解したfromdusktildawnさんの主張をまとめると、

  1. お洒落はモテの主要因ではない。
  2. お洒落がモテの主要因であるというのは悪い事だ。
  3. 人々が共有する価値基準のうち、生物学的要因に基づくものは、安易に修正すると、ひどい副作用がともなうことがある(だから、「生物学的要因に基づくもの」は絶対的な価値を持ち、相対化しないほうがよい)
ということになると思います。でもコレ、明らかに矛盾しているんですよ。

まず大前提として、僕は「お洒落」は「外見」の一部だと思っています。で、「美しい外見に惹かれる」というのは、「生物学的要因に基づくもの」なんですね。

詳しくは、「なぜ美人ばかりが得をするのか」という本を参照して欲しいのですが、この本では、生まれたばかりの赤ん坊でさえ、美人(シンメトリー)な人間を長く見つめるという調査が出てきます。また、あらゆる動物で、「外見」が生殖と密接に結びついているという、生物学的指摘も登場します。

さらにfromdusktildawnさんは、

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060120/1137749952

美人など、顔の皮一枚なのだから、たいした価値はない、という屁理屈です。私は、ブロンドのすごい美人が、みんなに褒められたとき、この返答をした場面に遭遇したことがあります。傲慢と取られると、反感を買うので、わざと謙遜して見せたわけです。そして、「謙遜」というのは、現実より低く自分の価値を報告することを言います。「現実の価値をマイナスに粉飾する」ことで、マイナスの価値を抱えた弱者の嫉妬と反感をかわすテクニックなわけです。

という文章を、価値相対化の悪影響の例として参照しているように、「美人」の価値は「絶対的」だと考えているようなんですね。そして前述したように、「美人」と「モテ」は、生物学的に密接に関連しているわけです。

となると、「お洒落は外見の一部」と考える僕の立場からすれば、

「生物学的に有利な『外見がよい』(=『お洒落な』)人間がモテることは、絶対的な価値を持つことであり、お洒落な人間がモテるのは正しい」

ということになってしまいます。

でも、fromdusktildawnさんは

・お洒落はモテの主要因ではない。
・お洒落がモテの主要因であるというのは悪い事だ。

とおっしゃる。これは、fromdusktildawnさんは「お洒落なことと外見の良さは別物」と考えているとしか僕としては思えないんですが、ここらへんはどうなのかなぁと、少し気になりました。

僕は、「お洒落な人間(=外見が良い人間)がモテる」のは絶対的なことだけど、それでも「お洒落がモテの主要因であるというのは悪い事だ」と考える人間が多いからこそ、その「絶対的価値」を少しでも相対化するために、人間の「倫理観」が発達していったのだと考えているんですけどね。

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2006年1月17日 (火)

束縛しないことこそが、愛情だ(と僕は思う)

【『愛においては、必ずどこかで「束縛」が発生する』の?】

・セックスより完全なもの - だから腕を広げて抱きしめてね
http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20060115/p1

・404 Blog Not Found - 抱いて欲しかったら抱け
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50322639.html

どちらの記事も、面白いなぁと思った。僕は「束縛しないことこそが愛情」だと思ってるから、一条さんの記事のほうに共感するかな。

だって、愛してる相手だからこそ、相手に自由に好きなことさせてあげたいじゃん?「束縛する」ってのは、相手の自由を奪うことだから、そんな酷いことを、好きな相手にしたくないんですよ。

だから僕は、彼女が他の男とふたりでデートに行っても「行ってらっしゃい(*´∀`)ノ」で済ますし、飲み会や合コンも同じ。ここで束縛するっていうのは、相手の自分への愛情を疑っている証拠だと思う。

ただ僕の中では、「性行為まで行ったら浮気」って基準があるから、そこまでしたら別れますけどね。彼女にもそう言ってあるし、もしそれでも「浮気」されたら、彼女はもう僕よりそいつのことを好きだってことだから、しょうがない。僕は彼女のことを信頼しているし、他の男よりずっと彼女から愛されてる自信もあるから、束縛しない。

もちろん、浮気されるのは嫌だから、ちゃんと彼女に愛され続けるよう、頑張ってますよ。

僕はこういう考え方だから、ダンさんの

なぜなら、抱きしめるという行為は自由を奪うことだからだ。それも物理的に。

愛においては、必ずどこかで「束縛」が発生する。

という考え方は、僕とはまったく正反対だなぁ、と思った。よい・悪いじゃなくてね。


【以下、ノロケ(笑)】
もっとも、僕の彼女自身はもの凄い「束縛したがり屋」で、しかも「自分が束縛されること」に愛情を感じるタイプなので、この部分ではしょっちゅう喧嘩になるんだけど(笑)

俺:「今度の日曜、会社の○○さん(女性)とふたりで遊んでくるね」
彼女:「ヤダ(>O<)」
俺:「俺のこと信頼してないの?」

とか、逆に

彼女:「今度の日曜、会社の○○さん(男性)とふたりで遊んでくるね」
俺:「行ってらっしゃい(*´∀`)ノ」
彼女:「ちょっとは心配しろ!(>O<)」

とか。最近は学習したので、わざと心配してるフリしてます(笑)

そろそろ付き合って4年になるけど、ここだけは全然噛み合わないんだよなぁ。もう、恐怖の地雷地帯状態。他の部分は、もの凄く相性良いと思うんですけどね。

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