2006年3月12日 (日)

自分の聴く音楽を、「よそ行き」「普段着」「パジャマ」に分類してみる遊び

今回も、前回の記事に関連して、音楽とセンスの話。

【音楽センスの謎が解けた!】
http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20060309#p2

自分で聴くだけ/好きなだけなら、マイルス・デイビスだろうが、木村カエラだろうが、ハンガリーの民謡だろうがどれが好きだって構わないと思います。ところが、それを人に言ったり、ブログに書いたりすることによってそこに意味が付加されるっつーのが私が言いたい事。

なるほど!republicさんの記事を読んで、ついに僕にもわかりましたよ!今まで謎に包まれていた、「音楽センス」ってヤツのなんたるかが!!

つまりアレですよ。音楽には、「よそ行きの音楽」と「普段着の音楽」があるってことですよ!そして、シチュエーションによって、「対外的な音楽」を使い分けるのが重要、と。ファッションでいうところの、「TPO」ってやつです。

だから、「どんな音楽聴く?」と聞かれたときは、相手が音楽マニアで、ちょっとカッコつけたいときは「よそ行きの音楽」を。友人との普段の会話だったら「普段着の音楽」を答えるのが正しい。

そしてアニソンやアイドル系等、「好きだけど、カミングアウトするのはなんとなく恥ずかしい」音楽は、「パジャマ」です。たとえそのアーティストがどんなに気に入っていようとも、どんなに暖かくて着心地がよかろうと、それ着てお外に出ちゃぁいけません!!*1

だから僕の場合
・よそ行き:E*VAX、Tahiti80、プロディジー
・普段着:スピッツ、ジュディマリ、フリッパーズギター
・パジャマ:ZUNTATA、ダンスマニア、川本真琴

という感じで、音楽を消費すればいいということです。たぶん。


【機能性を消費するということ、ファッション性を消費するということ】
しかしなぁ。こういう「センス競争」として消費する音楽っていうのは、完全に「ファッション」であり、「モテ志向」だよなぁ。自分が楽しむことよりも、「他者からどう見られるか」を重視しているという意味で。

音楽にも服飾と同様に「機能性」と「ファッション性」があって、「機能性」が優れている音楽(=質が良い音楽)や、自分が好きな音楽を聴いているだけでは、なかなか「センスが良い」「お洒落だ」ということにはならないってことなんでしょうね。「センスの良さ」を決めるのは、いつだって「他者」ですから、センスの良さを追求したいのであれば、自分ではなく他者のほうを向いていないと。

まぁ僕は音楽に関しては、「センスの良し悪し」はおろか「質の良し悪し」すらもわからない人間なので、「好き嫌い」しか判断基準がないんですけどね*2。そんな僕にとって、音楽のセンスはファッションセンスと異なり眼に見えないのは、不幸中の幸いでした。もし音楽のセンスが可視化されてたら、僕は脱オタに大失敗していたことでしょう(笑)

服飾にしろ音楽にしろ、結局「センス」っていうのは「わかる人にはわかるけど、わからん人には絶対にわからん」ものな気がするので、そういうもので優越感ゲームに浸るのはやっぱりイクナイ!と思いますた。価値観を共有していて、「センス競争」をやりたい人の間でだけやる程度なら、文化の発展のためにも良いかも知れませんけどね。

そう考えると、センスが可視化されている故に、誰もが強制的に「センス競争」に巻き込まれてしまう「服飾」とは、罪深い文化ですよ。本当に。


【思いつきメモ 2006.03/12 AM.8:40】
ふと思ったんだけど、本来「センス競争」というものは、「同じ価値観」「同じジャンル」の中でしか、通用しないものなんじゃないだろうか?価値観が違えば、当然評価軸も変わってくるわけだから、他人の蛸壺の中で、自分の蛸壺の価値観を振り回すなんて、あまりにもナンセンス。

でも実際にはそんなことはなくて、「渋谷系>>>ハロプロ」といった「蛸壺毎の序列」がなんとなく無根拠に存在する。ここらへんの「ジャンルを超えたグローバルなセンス競争」は、スクールカーストの問題なんかとも絡んでくる気がする。ここらへん、もう少し考えてみたい。

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*1 ただし、周囲が全員「同族」の場合等、時と場合によってはパジャマが正装だったりする。ここらへんもTPO重要(笑)あと、センスが抜群に良い人は、パジャマを普段着やよそ行きとして、「あえて」うまく着こなせたりとか。

*2 僕のiPodには、ジャニスでレンタルしまくった曲が、7000曲も入っているというのに!!

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2006年3月10日 (金)

「どんな音楽聴く?」と聞かれれば「何でも聴くよ」と答えるような、つまらない人間の戯言

・日日ノ日キ - これから音楽に出会う若い人たちへ~ダッシュ君、そしてダッシュ君と同じ気持ちの人に向けて~http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060306/1141648272

↑や、その周辺リンクを読んで。

僕自身は音楽に大して思い入れないし、「どんな音楽聴く?」と聞かれれば「なんでも聴くよ」と答えるし、クラブにはナンパ目的で行ってたような人間ですが。彼女が結構音楽マニアなので、彼女の友人の主催するクラブイベントに行ったりして、コアな音楽マニアに遭遇する機会が結構ある。モッズにハマって大学中退した人とか。

そういう人達見てると、やっぱり「センス競争」やってるわけですが、僕にはなぜそれが「上」になるのか、センスの判断基準がまったくわからんのです。ただ、その人達が「本当に音楽好き」で「もの凄くたくさんの音楽を聴いてきた」ことだけはわかる。ジャンルは違えど、僕もゲームにハマっていたから。

僕は昔はいろんなジャンルのゲームを遊んでいたのに、いつしかゲーセンのゲームしかやらなくなってたんだけど、それはいろいろなゲーム体験を通った結果、「本当に自分がゲームに求めているもの」が「攻略の喜び」だと理解したからなんですよね。「萌え」でも「ストーリー」でも「暇つぶし」でも「コミュニケーション」でもなく。だから最終的に、一番「攻略しがいのある」アーケードゲームに落ち着いた。

だから、その音楽マニアな人達も、いろんな音楽を聴いてきた結果として、「これが俺の求めていた音楽だ!」というこだわりができたから、そればかり聴くようになって、音楽が自分のアイデンティティの一部にさえなっているから、「センス競争」も自然とやるんだろうと思う。

そういう「こだわり」っていうのは、往々にして自己満足であり、差別的であり、不寛容であり、自分の視野を狭くしたり、異文化コミュニケーションを阻害したりするわけですが、「こだわり」を持てるようなモノがないと、人生つまらないのもまた事実。

「人間何かにマジにならなきゃ生きていけない、でもマジになりすぎると踏み外す」ってことが、この前読んだPLANETS01というサブカル系同人誌に書かれていて*1、これは確かにその通りだよなぁと僕は思う。

だからこんな記事を書く死に舞の中の人(id:shinimaiさん)に対しては「ケッ」と思う反面、羨ましくもある。たまに見かける「オタクが羨ましい」という意見は、きっとこういうこと。いまひとつ「マジ」になる対象を持てず、日々なにか空虚さを感じている、最近の僕の感想。(つづく

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*1 119ページ。古くは浅田章、最近は宮台真司が言ってるとか。で、宮台は「天皇」「国家」を「あえて」ベタにアイデンティティとして消費することを提唱していて、ネット右翼の増加なんかもこの文脈で説明できるらしいが、ちゃんと読んでないから詳しく知らないし、間違ってたらごめん。今度読んでみます。

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