僕が「社会規範からの抑圧」に執着する理由 ~ある脱オタ者の眼に映るジェンダー~
【僕の主張のバックボーン】
前回の記事について、いくつかの異論、反論が寄せられました。
・「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容
・フェミニズム 社会運動 ジェンダーフリー 男女 抑圧 当事者
・見出し付け忘れてた。 フェミニズム 弱者男性 社会運動
確かにあの記事はツッコミどころはあると思いますよ。でも、僕がああいうなことを書いているのには、それなりの理由があるんですよ。
それを理解してもらうには、僕があの思考に至った過程を、過去の体験とからめて順を追って話していくのが一番だと思いました。少し長くなりますが、書いておきます。確かにここらへんを書かないと、僕の主張は理解されづらいとも思うので。なぜ僕が「社会規範からの抑圧」という概念にこれほど執着するのかという、僕のバックボーンを知っていただければ、と思います。
【『オタク』という『若者男性らしくない』存在】
僕の生い立ちの詳細は、↓で読むことができます。
・【症例2】オタクコミュニティ内における成功体験が、『脱オタ』推進にも影響した一例
ここで書いたように、僕は10代、オタクでした。この時代は、かなり馬鹿にされて育ちました。いじめに遭ったりもしました。不登校気味になって普通科の高校で留年して、通信制高校を出たりしました。とても暗黒時代な感じでした。
で、20代前半で脱オタしました。脱オタの一貫として、ナンパ師になってみたりしました。それ以来、驚くほど生きやすくなりました。で、現在に至ります。
なぜ、オタクがキモがられたり差別されたりモテなかったりするのかというと、「若者男性らしさという社会規範」に乗っていないからだというのが僕の持論です。オタクのイメージを創造してみてください。挙動不審・優柔不断・デブ・子供っぽい趣味嗜好・スポーツが苦手……どれも「若者男性らしさ」とはかけ離れた存在です*1。
そして脱オタというのは、オタクが「若者男性らしさという社会規範」に乗り直すことだと考えています。これは、「太った若者女性」が「若者女性らしさ」という社会規範に乗るために、ダイエットに励むこととよく似ています。このふたつは、共に「若者男性・若者女性というジェンダーの社会規範に乗るための行動」だといえるでしょう(参照)。
実際僕は、女性のダイエット経験者や整形経験者の体験談を聞くと、あまりにも共感できて、びっくりします。中でも僕が一番共感するのは、「世間には『外見なんて』といった風潮もあるけど、実際痩せたらもの凄く生き易くなった」「整形したら世界が変わった」という、ダイエット当事者の女性の声です。
僕も彼女等と同じように、脱オタしてから世界が変わりました。驚くほど生きやすくなりました。無理をしてでも「若者男性らしくなる」「若者女性らしくなる」ことは、確かにこの世界で若者が「強者」になることへの近道だったのです。
| http://d.hatena.ne.jp/nitino/20060711 これ言うとやらしいけど、でもやっぱ痩せて良かったのは、良かった。のよ。らくちん。ほんとらくちんな人生になった。でもそれをしろって言えるか、解らない。摂食障害は…他の誰にもあんな酷く辛い思いはして欲しくないってずっと、思ってて、そゆのがあるのよ。 |
僕はこうした女性の告白と自分の体験とを照らし合わせるたびに、そこに「共感」を見出します。「若者男性・若者女性というジェンダーの社会規範に乗るための行動」に、ジェンダーの垣根はないと感じます。「ジェンダーという社会規範からの抑圧」というテーマで、弱者男女は共感し合えると感じるのです。
【『もの凄く生き易く』なって見えたもの】
こうして脱オタした僕は「強者」になることができました(少なくとも以前よりは)。これは僕にとって、とても嬉しいことでした。
でも同時に、僕はこうも思いました。僕が脱オタしたときにやった「自分改造」ってなんだったんだろう、と*2。
「改造」以前の自分は、確かに「若者男性らしく」はなかった。でも、それってそんなに「悪い」ことだったの?「若者男性の規範に乗る」ことは、そんなに偉いことなの?こんなに周囲の人間は、僕の「若者男性らしさ」を重視していたの?なんでこんなに周囲の(特に女性の)態度が違うの?
僕は心のどこかで、脱オタしたくらいで周囲の評価が変わるなんてことは、あって欲しくないと願っていたのだと思います。
でも現実には、そうはならなかった。脱オタにより「驚くほど生き易くなった」僕は、それと同時にオタクという「若者男性の規範に乗っていない存在」がどれほど酷く抑圧されているのかということを、身を持って知ることになったのです。
こうした体験を経て、僕の中には「『若者男性らしさ』という社会規範への抑圧」に対する、大きな疑問が沸いてきました。そしてそれが「ジェンダーという社会規範からの抑圧」への疑問へと変化し、さらには世の中の「社会規範に乗っていないすべての人々」への抑圧に対する疑問へと変化するのに、そう時間はかかりませんでした。
「確かに昔の俺も含め、あの人たちは『社会規範』に乗れてないよ。でも、そこまでの『生き辛さ』を感じさせられるような悪いことを、あの人たちはやっているの?」
こうした視点から見たとき、僕の眼に世の中のあらゆる「生き辛さ」は「社会規範による抑圧」によるものだと映りました。
【『ツッコミ所満載の表』の意味】
僕が前回の記事で書いた「ツッコミどころ満載」の表は、こうした考えから生まれたものです。確かに荒削りでツッコミ所満載ですが、あの表に書いた考え方自体は、それほどおかしなものではないと思っています。
そして僕は、あの表を根拠に「すべての運動にコミットしろ」と主張したいのではありません。僕自身にしても、「元当事者」という観点から、主に「オタク」と「ジェンダー」に関する差別に特に興味があり、それをテーマにブログを書いたり、本を読んだりしています。あの表に書いたすべてのテーマについて勉強しているとはとても言えないし、労力的にも不可能です。
でも僕は、それ以外の「社会規範抑圧者」のことも、同じ問題を共有する「仲間」だと考えています。僕自身が「社会規範からの抑圧」を強く体感していたので、他の人に同じような抑圧を体験して欲しくないと考えているからです。
そしてこれが、僕がここで書いたような、「『運動しろ』とまでは言わないが、『配慮しない』のはダメだ」という主張に繋がっていくわけです。
まぁこれは「主張」というよりは、こうであってほしいという僕の「希望」と言ったほうが正確かもしれませんが……
【『男女のジェンダー問題は、男女で解決する』で良いじゃない】
ここで、僕の前回の記事に戻ります。
まず皆さんは、僕がフェミニスト「が」弱者男性問題も解決すべきだと考え、そこを批判しているのだと思っているようですが、これは違います。
前回の記事で僕は、「ジェンダーフリーは『男』『女』『同性愛者』を分けて考える必要はない」と書きました。「男性問題は男性が、女性問題は女性が」ではなく、「男女問題を男女が」解決するべきだというのが僕の主張です。
しかし現実問題として、確かに現在のフェミニズムは、女性に比率が偏っています。抑圧されていると感じているのであれば、弱者男性本人も、もっと声を挙げるべき。これは、多くの方の指摘に同意します。
しかしそれが「フェミニズムとの合流」であれ、「マスキュリズム」と呼ばれるものになるのであれ、このふたつのジェンダー運動は「連帯」できると考えています。「男女」という縦の連帯ではなく、横の連帯が可能です。僕はそう思います。
僕が批判したのは、フェミニストが弱者男性のために「運動しない」ことについてではなありません。弱者男性に対し「配慮しない」態度についてです。「女のため」と言ってしまう姿勢についてです。「男のことは男が、女のことは女が」と、問題の区分線を男女間に置いてしまうことについてです。これでは本来近い問題を抱え、連帯できるハズの両者は、いがみ合うばかりでしょう。
僕が主張したいのは、「フェミニズムは弱者男性を救え」ということはなく、「男女問題は、男女が連帯して解決できる」ということです。そしてそのためには、フェミニズムは弱者男性にも「配慮」し、弱者男性もまた、自分が感じる抑圧について、もっと積極的に声を挙げていくことが必要だと思います。
僕が言いたかったのは、つまりはこういうことです。僕の真意が、少しでも多くの方に伝わることを、祈ります。
*1 というか本当は順番が逆で、こういった「若者男性らしくない」特徴を持った者が「オタク」と侮蔑されやすくなる。
*2 期間1年、費用約200万円、会社を潰して無職になる等のコストがかかっています。
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