2006年7月22日 (土)

僕が「社会規範からの抑圧」に執着する理由 ~ある脱オタ者の眼に映るジェンダー~

【僕の主張のバックボーン】
前回の記事について、いくつかの異論、反論が寄せられました。

「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容
フェミニズム 社会運動 ジェンダーフリー 男女 抑圧 当事者
見出し付け忘れてた。 フェミニズム 弱者男性 社会運動

確かにあの記事はツッコミどころはあると思いますよ。でも、僕がああいうなことを書いているのには、それなりの理由があるんですよ。

それを理解してもらうには、僕があの思考に至った過程を、過去の体験とからめて順を追って話していくのが一番だと思いました。少し長くなりますが、書いておきます。確かにここらへんを書かないと、僕の主張は理解されづらいとも思うので。なぜ僕が「社会規範からの抑圧」という概念にこれほど執着するのかという、僕のバックボーンを知っていただければ、と思います。


【『オタク』という『若者男性らしくない』存在】
僕の生い立ちの詳細は、↓で読むことができます。

【症例2】オタクコミュニティ内における成功体験が、『脱オタ』推進にも影響した一例

ここで書いたように、僕は10代、オタクでした。この時代は、かなり馬鹿にされて育ちました。いじめに遭ったりもしました。不登校気味になって普通科の高校で留年して、通信制高校を出たりしました。とても暗黒時代な感じでした。

で、20代前半で脱オタしました。脱オタの一貫として、ナンパ師になってみたりしました。それ以来、驚くほど生きやすくなりました。で、現在に至ります。

なぜ、オタクがキモがられたり差別されたりモテなかったりするのかというと、「若者男性らしさという社会規範」に乗っていないからだというのが僕の持論です。オタクのイメージを創造してみてください。挙動不審・優柔不断・デブ・子供っぽい趣味嗜好・スポーツが苦手……どれも「若者男性らしさ」とはかけ離れた存在です*1

そして脱オタというのは、オタクが「若者男性らしさという社会規範」に乗り直すことだと考えています。これは、「太った若者女性」が「若者女性らしさ」という社会規範に乗るために、ダイエットに励むこととよく似ています。このふたつは、共に「若者男性・若者女性というジェンダーの社会規範に乗るための行動」だといえるでしょう(参照)。

実際僕は、女性のダイエット経験者や整形経験者の体験談を聞くと、あまりにも共感できて、びっくりします。中でも僕が一番共感するのは、「世間には『外見なんて』といった風潮もあるけど、実際痩せたらもの凄く生き易くなった」「整形したら世界が変わった」という、ダイエット当事者の女性の声です。

僕も彼女等と同じように、脱オタしてから世界が変わりました。驚くほど生きやすくなりました。無理をしてでも「若者男性らしくなる」「若者女性らしくなる」ことは、確かにこの世界で若者が「強者」になることへの近道だったのです。

http://d.hatena.ne.jp/nitino/20060711
これ言うとやらしいけど、でもやっぱ痩せて良かったのは、良かった。のよ。らくちん。ほんとらくちんな人生になった。でもそれをしろって言えるか、解らない。摂食障害は…他の誰にもあんな酷く辛い思いはして欲しくないってずっと、思ってて、そゆのがあるのよ。

僕はこうした女性の告白と自分の体験とを照らし合わせるたびに、そこに「共感」を見出します。「若者男性・若者女性というジェンダーの社会規範に乗るための行動」に、ジェンダーの垣根はないと感じます。「ジェンダーという社会規範からの抑圧」というテーマで、弱者男女は共感し合えると感じるのです。


【『もの凄く生き易く』なって見えたもの】
こうして脱オタした僕は「強者」になることができました(少なくとも以前よりは)。これは僕にとって、とても嬉しいことでした。

でも同時に、僕はこうも思いました。僕が脱オタしたときにやった「自分改造」ってなんだったんだろう、と*2

「改造」以前の自分は、確かに「若者男性らしく」はなかった。でも、それってそんなに「悪い」ことだったの?「若者男性の規範に乗る」ことは、そんなに偉いことなの?こんなに周囲の人間は、僕の「若者男性らしさ」を重視していたの?なんでこんなに周囲の(特に女性の)態度が違うの?

僕は心のどこかで、脱オタしたくらいで周囲の評価が変わるなんてことは、あって欲しくないと願っていたのだと思います。

でも現実には、そうはならなかった。脱オタにより「驚くほど生き易くなった」僕は、それと同時にオタクという「若者男性の規範に乗っていない存在」がどれほど酷く抑圧されているのかということを、身を持って知ることになったのです。

こうした体験を経て、僕の中には「『若者男性らしさ』という社会規範への抑圧」に対する、大きな疑問が沸いてきました。そしてそれが「ジェンダーという社会規範からの抑圧」への疑問へと変化し、さらには世の中の「社会規範に乗っていないすべての人々」への抑圧に対する疑問へと変化するのに、そう時間はかかりませんでした。

「確かに昔の俺も含め、あの人たちは『社会規範』に乗れてないよ。でも、そこまでの『生き辛さ』を感じさせられるような悪いことを、あの人たちはやっているの?」

こうした視点から見たとき、僕の眼に世の中のあらゆる「生き辛さ」は「社会規範による抑圧」によるものだと映りました。


【『ツッコミ所満載の表』の意味】
僕が前回の記事で書いた「ツッコミどころ満載」の表は、こうした考えから生まれたものです。確かに荒削りでツッコミ所満載ですが、あの表に書いた考え方自体は、それほどおかしなものではないと思っています。

そして僕は、あの表を根拠に「すべての運動にコミットしろ」と主張したいのではありません。僕自身にしても、「元当事者」という観点から、主に「オタク」と「ジェンダー」に関する差別に特に興味があり、それをテーマにブログを書いたり、本を読んだりしています。あの表に書いたすべてのテーマについて勉強しているとはとても言えないし、労力的にも不可能です。

でも僕は、それ以外の「社会規範抑圧者」のことも、同じ問題を共有する「仲間」だと考えています。僕自身が「社会規範からの抑圧」を強く体感していたので、他の人に同じような抑圧を体験して欲しくないと考えているからです。

そしてこれが、僕がここで書いたような、「『運動しろ』とまでは言わないが、『配慮しない』のはダメだ」という主張に繋がっていくわけです。

まぁこれは「主張」というよりは、こうであってほしいという僕の「希望」と言ったほうが正確かもしれませんが……


【『男女のジェンダー問題は、男女で解決する』で良いじゃない】
ここで、僕の前回の記事に戻ります。

まず皆さんは、僕がフェミニスト「が」弱者男性問題も解決すべきだと考え、そこを批判しているのだと思っているようですが、これは違います。

前回の記事で僕は、「ジェンダーフリーは『男』『女』『同性愛者』を分けて考える必要はない」と書きました。「男性問題は男性が、女性問題は女性が」ではなく、「男女問題を男女が」解決するべきだというのが僕の主張です。

しかし現実問題として、確かに現在のフェミニズムは、女性に比率が偏っています。抑圧されていると感じているのであれば、弱者男性本人も、もっと声を挙げるべき。これは、多くの方の指摘に同意します。

しかしそれが「フェミニズムとの合流」であれ、「マスキュリズム」と呼ばれるものになるのであれ、このふたつのジェンダー運動は「連帯」できると考えています。「男女」という縦の連帯ではなく、横の連帯が可能です。僕はそう思います。

僕が批判したのは、フェミニストが弱者男性のために「運動しない」ことについてではなありません。弱者男性に対し「配慮しない」態度についてです。「女のため」と言ってしまう姿勢についてです。「男のことは男が、女のことは女が」と、問題の区分線を男女間に置いてしまうことについてです。これでは本来近い問題を抱え、連帯できるハズの両者は、いがみ合うばかりでしょう。

僕が主張したいのは、「フェミニズムは弱者男性を救え」ということはなく、「男女問題は、男女が連帯して解決できる」ということです。そしてそのためには、フェミニズムは弱者男性にも「配慮」し、弱者男性もまた、自分が感じる抑圧について、もっと積極的に声を挙げていくことが必要だと思います。

僕が言いたかったのは、つまりはこういうことです。僕の真意が、少しでも多くの方に伝わることを、祈ります。

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*1 というか本当は順番が逆で、こういった「若者男性らしくない」特徴を持った者が「オタク」と侮蔑されやすくなる。

*2 期間1年、費用約200万円、会社を潰して無職になる等のコストがかかっています。

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2006年3月16日 (木)

すべての脱オタ志望者は、「差異化ゲーム」というフォースの暗黒面に気をつけろ!!

【天馬さんとこで、論争発生】
前回の記事をキッカケに、天馬さんのブログで脱オタ関連の論争に。主戦場は↓の記事と、そのコメント欄。

・脱オタ者にかます言葉:天馬さん
http://blog.livedoor.jp/yuikoinu/archives/50643922.html

ここまでの経緯が知りたい方は、↓あたりの記事と、コメントも一緒に参照。

・音楽すらも楽しめない世の中なんてヤだよ:天馬さん

・脱オタ者やファッション嗜好者は、「純ベタ」に服飾を楽しめるのか?:シロクマさん

・受験勉強化しつつある脱オタ界だから「楽しめ」というわけ :天馬さん

最初はコメントしようと思ったんですが、長くなったのでTBで返答します。


【大前提は、『楽しむこと』なのか『差異化ゲーム』なのか】

http://blog.livedoor.jp/yuikoinu/archives/50643922.html#comments

差異ゲームなんぞはあって当たり前の「必然」。
そんな必然にいちいち「差異ゲームがあるんですよ」
などと絡んでくる方もどうかと思いますが。

「楽しむ事」に傾く記事を書いたのは
みんな糞真面目過ぎてバランス感覚が波状しているから。
「ふざめる」事を知らなさ過ぎるから
あえて提示していますし、糞真面目で遊びを知らない人が
「楽しめ」と言われてもいきなり楽しめるはずもなく
いつか辛くなったときの対処法として
アタマのすみっこに置いておいてくれればな、と
思って主張していますねぇ。
第一、そんな糞真面目な人間が差異ゲームなんぞ
始めたらただの自意識過剰人間にしかならんでしょうに。

あぁ、なるほど。わかりました。
僕と天馬さんは、「大前提」と「想定している脱オタ者象」が、真逆なんです。

僕は趣味なんて「楽しむこと」が言うまでもない大前提で、「差異化ゲーム」が存在すること自体がくだらない、バカらしい、おかしなことだと考えているので、わざわざ「楽しめ」と言うことの意味が、わからないんですよ。

「趣味は楽しむもので、差異化ゲームに使うものではない。差異化ゲームが存在すること自体が、どうかしている」これが僕の大前提*1。注意して欲しいのですが、あくまで「趣味」の話ですからね。

僕はこう考えるのですが、でも、天馬さんが言う「糞真面目な人」が「差異化ゲームに勝つこと」「優越感を得ること」のみを目的に脱オタする場合に関して言えば、「楽しめ」と言ってあげたほうがいいかも知れません。

今回の論争のすれ違いはつまるところ、どのようなタイプの脱オタ者に向かって語りかけているかという違いだと思うんです。天馬さんは「糞真面目な人」を想定していて、僕は「楽しむこと」しか頭にない人を想定している。

僕も天馬さんも、脱オタ者のバランスを修正するために発言していて、本質的に言ってることは、変わらないと思います。


【『楽しんで』いても『差異化ゲーム』で勝てるとは限らない】
つまり結局のところ、「差異化ゲームの勝ち負け」と「楽しむこと」のバランスの問題なんだと思うんですよ。「差異化ゲーム」は他者評価なので、自分が「楽しい」と思うことだけやっていても、勝てるとは限らない。

「楽しむこと」は、自己満足からくる満足感。「差異化ゲーム」は、他者承認・優越感からくる満足感。このふたつの満足感は、まったくの「別腹」なわけです。

だから、「『楽しいこと』はやってるんだけど、『差異化ゲーム』内での自分の立ち位置には不満がある」という人も、当然居るわけなんですよ。そういう人が「差異化ゲーム」で勝つ為の行動を起こすのが脱オタだと、僕は思うんですね。

で、僕はそういう人に対して、楽しいことはもう充分やってるんだから、「差異化ゲーム」をもっと意識しないとダメだよ。勝てないよ。もっと狡猾に、計算してやりなよと言っているわけです。

天馬さんはその逆で、「差異化ゲーム」に勝つための計算ばかりして、まったく「楽しめない」ことばかりやっているせいで、過剰適応に苦しんだり、ストレス解消のためにオタクをバカにして、優越感を得ることを目的にしている人間に語りかけている……というか、説教している。そりゃあ言うことも逆になるよなぁ、と。

どっちの「脱オタ者象」に当てはまる人間が多いのかは、僕にはわかりません。自分以外の「脱オタ者」にほとんど会ったことがないし、ちゃんと話をしたこともないから。ただ僕自身は「楽しいことばかりやってたら、気付かないうちに差異化ゲームで負けていた。悔しい!」というタイプの人間なので、「勝ちたいなら、楽しむばっかじゃダメっしょ」と言いたくなるわけです。

だから、天馬さんの考える脱オタ者象が、過剰適応タイプの「糞真面目な」タイプなのであれば、「楽しめ」と言う天馬さんの言い分は、まったくそのとおりだと思います。ただ僕は、そういうタイプの脱オタ者って少ないんじゃないかと、なんとなく思っているんだけど、違うのかなぁ?このへんの認識が、天馬さんと僕では違っている気がする。


【脱オタ者は、『空白期間』に耐えろ!工夫して乗り切れ!フォースの暗黒面に堕ちるな!!】
以下、天馬さんへの返信ではなく、書いていてふと考えたことのメモ。

僕の考える「楽しいことばかりやってきた脱オタ者」は、「いままで楽しいことやってきたのに差異化ゲームで負けている」ことが不満なわけだから、これを解消するために、どうしても「自分が今まで楽しいと思ったことはないが、差異化ゲームでは有利」な分野に漕ぎ出す必要がある。この「新しく始めたこと」(これはファッションでもナンパでも音楽でもグルメでもなんでもいいですが)が楽しくなるまでは、脱オタ者は強いストレスを感じることになるだろうなぁ*2

何事もそうだけど、始めからいきなり面白い趣味なんて、ないですよ。やってるうちに、だんだん面白さがわかってくる。それどころか、天馬さんが「気質的にファッションを楽しめない人がいる」と言うように、いつまで経っても楽しめない趣味もあると思う。でもそれは、しばらく続けてみないとわからないこと。

だから脱オタを始めたばかりの人は、「楽しいこと」もないうえに、「差異化ゲーム」でも負けているという「空白期間」を経験することになる。この時期は、ストレスで無意味にオタクに優越感を感じたり、「差異化ゲームで勝つ」ことに、過剰に傾いてしまうこともあるかも知れない。たとえ僕が想定している「楽しむことしか頭にない」人間であっても。それが天馬さんの言うところの「脱オタ説教坊」なんじゃないかと思う*3

そう考えると、この「空白期間」をどのように乗り越えるかが、「脱オタ説教坊」になるかならないかの分かれ目なのかも知れない。「空白期間」の過ごしかた、超重要。だから脱オタ志望者は、「楽しいこと」もなく「差異化ゲーム」でも負けているというこの一時的な状況に、耐えろ!いろいろ工夫して乗り切れ!!

すべての脱オタ者は、このことを肝に銘じるべし!ここでオタクを優越感のタネにして、フォースの暗黒面に堕ちるようなことになったら、天馬さんに説教くらうぞ!気をつけろ!!(笑)

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*1 だから前回の記事では、差異化ゲームそのものを皮肉っているわけです。

*2 ていうか、僕が感じていたんだけど。

*3 ていうか、僕も心当たりがあるんだけど。

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2006年1月19日 (木)

大人の脱オタは、若者のそれと比べ、ローリスク・ローリターンである

【大人になってからの脱ヲタは、難しい?】

http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom.cgi/mote/2006-01-17_otona.htm

「脱ヲタ」には金がかかる。慢性的に金欠なヲタにとっては、大人になって収入が増えてからが「脱ヲタ」最大のチャンスだろう。だが、大人になってからの脱ヲタは、いい歳した大人が無様な格好を晒すこととなり、嘲笑に晒される。ナイーブなヲタはそれに耐え切れない。脱ヲタを望みながらも動き出すことが難しいのは、それが一つの理由なのではないだろうか?

Piroさんはこの記事で、「大人になってからの脱オタは、金銭的には有利だが、精神的には不利だ」ということを書かれています。でもこれは、僕の見解とは少し違います。僕は脱オタは、大人になってからのほうが「金銭的」にも「精神的」にも有利だと考えています。

なぜか?それは、「脱オタ途上」の者に対する、「周囲の眼」が違うからです。

事件は30代で起こっているんじゃない!10代で起こっているんだ!!」で書いたように、20代後半くらいになれば、「ファッションで馬鹿にされる」などということは、まずなくなります。ファッションの持つ価値や意味は、10代とは比べ物にならないくらい、この年代では弱まっているのです。

昨日まで「全身ユニクロ」だったあなたが、ある日突然「マネキン丸井服」になったとしても、ほとんどの人は気にしません。10代の学生のように、

http://at-fashion.com/rebirth/chapter1.htm

(゚Д゚)ハァ?見てあの子どうしたのかしら?
急にあんな服着てきちゃって
おっかしいわぁ。 (;^_^Aワラ
あれれ?
コンタクトなんか入れちゃって イケテルっておもってるの かしらね?
ギャハ(≧∇≦)y-~~
鏡みてみなさいよあなたって服を着るっていうか着られてるわよってかんじね。

あっははは。 (^^;ワラ

なんて思う人間はいないでしょうし、たとえ居たとしても、わざわざ口に出したり、それを理由にあなたを迫害するようなことも、まずありません。みんな、その程度には「大人」になっています。

Piroさんが言う「周囲の嘲笑に晒される」可能性が高いのは、むしろファッションや外見に対する強い自意識を持っている、10代しょう。

さらに、学生は社会人に比べ、容易に環境を変えることができないことも*1、脱オタリスクの高さに拍車をかけます。脱オタに失敗し、クラスメートから上記のような嘲笑に迎えられ、スクールカーストランク圏外一直線。しかも卒業までその環境から逃れられない、なんて事態もありうるでしょう。

このように、学生時代の脱オタには、「高校デビュー失敗」にならないよう、充分な仕込みと慎重な姿勢、そして練りに練った戦略が必要なのです。そう考えると、大人になってからの脱オタは、金銭面においても精神面においても、そして環境面においても、学生時代に比べ、非常に容易になっていると考えられます。


【大人の脱オタのデメリット】
このように、「大人になってからの脱オタ」は、学生時代とは比較にならないほど簡単です。しかしこの、「大人になってからの脱オタ」には、デメリットも存在します。

それは、「脱オタに成功しても、学生時代ほどの旨みがない」ことです。今回の記事の前半で僕は、

・ファッションの持つ価値や意味は、10代とは比べ物にならないくらい、この年代では弱まっているのです。

・昨日まで「全身ユニクロ」だったあなたが、ある日突然「マネキン丸井服」になったとしても、誰も気にしません。


と書きました。しかしこれは逆に言えば、「ファッションを変えたくらいでは、周囲の人間のあなたへの評価は、たいして変わらない」ということでもあります。

また、この年齢になると、周囲の人間の「恋愛観」も若い頃とは変わってきます。結婚も視野に入ってくるし、思春期特有の「恋に恋する現象」も薄くなっているので、恋愛に淡白な人間も多い。「一億総恋愛教」の学生時代とは、事情が違います。こちらの「症例1さん」のように、ドラスティックに「モテ」へ転向する展開は、期待できないでしょう。つまり、

若者の脱オタ:ハイリスク・ハイリターン
大人の脱オタ:ローリスク・ローリターン

だということです。

どちらを選ぶかは人それぞれですし、もう選択の余地のない方も多いと思いますが、僕個人としては、できるだけ若いうちの脱オタをおススメします。「青春時代に恋愛できなかった」という事実は、後々まで悔いが残り易いですし*2、恋愛に熱意がある若いうちのほうが、恋愛しても楽しいと思いますし……*3

http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060109#p2

そうなのよ。「青春時代の恋愛を知らない」ってのは本当にキツイ。いいですか。若者というのは恋愛するのがデフォルトとされているんですよ!若かりしころには、甘酸っぱい恋愛の思い出が、セックルの思い出があるのが「普通」なんですよっ!ところが、こちとらインターネットでエロ動画をダウンロードした記憶くらいしかないときてらぁ!これ、どーなのよ。どーするよ。


【脱オタは計画的に!】
このように、「大人の脱オタ」はローリターンなので、だからこそ「今更脱オタしてもねぇ……」という気持ちになる非モテが多いというのは、よく理解できます。脱オタは、リスクとコストとメリットのバランスを考え、計画的に!(プロミス)

今回は、かなり厳しいことを書きましたが、いま脱オタを考えている方は、今回の話のようなことを頭の隅に置いておき、判断の材料にしても損はないでしょう。


【追記 2006.01/19 21:00】
PiroさんにTBをいただきましたが……今回の記事は、どうも悲観的に書きすぎたようです。すいません(^-^;

僕が言いたいのは、「大人の脱オタ」は若者に比べてファッションや外見の比重が低いので、「プラスアルファ」が重要になってくるということなんですね。次回の記事で、そのへんのことを書こうと思っています。

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*1 社会人は、いざとなれば転職という手段が使えますが、学生はなかなか転校というわけにもいかないでしょう。この流動性の低さは、脱オタに限らず、学生が「冒険」する際の大きなリスクとなっています。

*2 僕も時々後悔します

*3 まぁ相手次第なんですが、確率論的に。また、登山日記のよっしーさんは、「『恋愛』が素晴らしいのでなく、『若い頃の恋愛』が素晴らしいのである」と、容赦ない指摘。

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