2006年10月 3日 (火)

新・オタク世代論!思春期を「ネット普及以前/以後」どちらで迎えたかを分水嶺に、「オタク1.0」と「オタク2.0」を分ける世代区分を提唱してみたい!!

【オタク世代論への違和感に感じる違和感】

http://www.hirokiazuma.com/archives/000222.html
あなたの出生年から1950を引く。それを10で割ったのがあなたのオタク世代です。

・83年生まれの私から見た同世代とヲタク
・世代で語れない世代
・ああ、なるほどね。なんとなく分かった第3世代

僕は1977年生まれなので、東浩紀氏の区分でいくとオタク2.7世代のようですが、四捨五入すれば第3世代なので、このへんの記事と自分の体験と照らし合わせて感じた違和感を書いて、ムリヤリ話題に参加してみようかな、と。

僕が今回、特に「世代差」を感じたのは、↓の箇所ですよ。

http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20061002/p1
第3世代のオタクって、上の世代のように必ずしも漫研・アニ研・SF研を通過してきたような人って少ないじゃん。少なくとも2~3人くらいはクラスで話の通じる奴が居て、ソイツとつるんでればクラスで四面楚歌を味わう事も無く、わざわざ学内・学外のオタク・コミュニティに安住の地を求める必要が無かった。


【まずは自分語り】
テラウラヤマシス。僕が学生だったころ、同じクラスに「オタ話が通じる友人」なんて、一人もいませんでした。

でも、当時のことを思い返してみると、オタクの中でもメジャーコンテンツを消費していた層の人々は、確かにここに書かれているような環境を構築できていたような気がします。

中学時代には、「ふしぎの海のナディア」をネタにクラスで談笑してる人々がいたし、高校では「サイレントメビウス」だかが好きで、美術の時間にそれをネタに作品作って提出してた連中もいた(ちなみに僕はこのとき「極上パロディウス」をネタに作品を作って提出した)。そう考えると、「少なくとも2~3人くらいはクラスで話の通じる奴が居て」というのは、オタクの中ではマジョリティの認識なのかも知れません。

でも僕は、そういったメジャーオタクコミュニティに所属することはなかったんですよ。なぜなら僕はあくまで「ゲーオタ」であり、「アニオタ」でも「萌えオタ」でも「PCオタ」でもなくかったから。僕は学生時代「オタク」と呼ばれていたけれど、アニメやラノベはそんなに好きじゃなかったんです。

「ゲーオタ」の中でも僕の専門領域は「やり込み」でした。「やり込み」っていうのはもの凄く時間のかかる作業で、ひとつのゲームをそれこそ何百時間、何千時間とプレイするわけです。当然、そんなに作品を多くはこなせないし、他の趣味と「兼業」する余裕もあんまりない*1。だから僕は、「オタ話」をされてもその作品自体観ていないから、話についていけない。

かといって、当時僕の周りには僕を満足させる程の腕を持ったスト2の対戦相手はいなかったし、「極上パロディウス」や「V.V」を1コインクリアできる者もいなかった。「第3次スーパーロボット大戦」を10周して全イベント制覇やガンダム系オンリープレイを決行したヤツもいなければ、「ガンスターヒーローズ」のエキスパートモードをクリアできる強者もおらず、「イーアルカンフー」で無意味に5時間かけてカンストしようとする人間もいなかった。こんな僕と「オタク趣味」について語り合えるような人間は、周囲には誰もいなかったんです。

僕にとってそんな人間は、アーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」の中にしかいませんでした。だから僕は、ゲーメストのライターにもの凄い憧れを持っていたし、できればゲーメストのような雑誌でライターをやりたいと、当時よく考えていたものです。だってそこに入れば、僕と同じような嗜好を持った「ゲーオタ仲間」がたくさんいるわけですから。


【ネットを通した初めての『同士』との出会い】
そんな「オタク仲間日照り」状態がずっと続いていた僕が、初めて「心ゆくまでゲームの話ができる!」と感じる「同士」に出会えたのは、20歳のときです。

ここで少し書いてますけど、僕はこのころ初めてネットに繋ぎまして、そこで初めて僕が好きな「やり込み系」のゲーム、たとえば「アーケードSTG」や「トレジャーの一連のアクションSTG作品」が好きな自分以外の人間を、「発見」したんですよ。

そのときの喜びには、凄いものがありましたね。「なんだよ!俺と同じような好みの人間って、結構いるんじゃん!」みたいな。

しばらくして僕も、当時ネットで一番活発だった、とあるSTG系掲示板に書き込みを始めます。そこで書き込んでいた何人かが、偶然にも僕に行きつけのゲーセンの常連だったんですよ。それがキッカケで、その人達とリアルでも話したりするようになったんですが……

もうね、この「ゲーセン友達」と初めてゲーセンの中で会話したときの、僕の狂喜乱舞っぷりといったらなかった。そりゃそうですよ。それまで十何年も抑えてきた「ゲーオタ話をしたい」という欲求が、そこで一気に解放されたんですから。凄い大声で興奮してしゃべり倒しました。「初めて同士と巡り合えた!」と感じましたよ、大袈裟でなく。

ネットによって、僕は初めて「マイナー趣味の同士」を得て、「疎外感」から解放されたわけです。


【ネットの普及により、思春期オタクの疎外感は大幅に軽減された】
……と、長々と自分語りしてみましたが、僕がこの話を元に言いたいことは、次の3点です。

  1. 「ネットの常識化」は、オタクの「疎外感」を軽減させるのに、もの凄い影響があったんじゃね?
  2. その影響により、「マイノリティ意識や疎外感を持たない屈託の無いオタク」という新しいオタク層が浮上してきてるんじゃね?
  3. この「屈託のない新しいオタク層」を「第2世代」、これ以前の「非差別意識を持ったオタク」を「第1世代」としたほうが、「動物化」をベースにした東浩紀のオタク世代論よりもスッキリ正確なんじゃね?
ネットの普及は、オタクの「疎外感」を軽減させるのに、非常に強い影響力を持っていたと考えられます。

コレは、よくオタクの気質変化の要因として挙げられる「オタクのメジャー化」なんかよりも、よっぽど大きなオタクの意識変化です。いまオタクの中でもメジャーになってるのは「萌えオタ」だけで、萌えと関係ないオタクジャンル愛好家達は、全然その恩恵にあずかれてはいないんですから。「萌えオタ」以外のオタクにとって、「オタクのメジャー化」なんてのは、自分とは全く関係ない世界の話なわけです。

でも実は、「オタク趣味がメジャーかマイナーか」なんてこと自体が、すでに問題になっていないんですよ。どんなマイナー趣味者だろうと、ネットを泳げばどこかに似たような嗜好の人間がいる。もはや「趣味がマイナーであること」は、「疎外感」「孤独感」を感じる要因にはならなくなったのです。

「オタクは特定ジャンルの話題でだけ急に興奮してしゃべりまくって、その剣幕がキモい」

昔はよく、こんなオタク批判を聞いたものです。この「キモさ」は、オタクが普段の「話たい話題ができない抑圧」が解放された際の、過剰な喜びからきていたのでしょう。しかし、ネットが普及してからは、こういうタイプのオタクはかなり減っていると思われます。たとえ学校で友人とオタ話ができなくても、家に帰れば心置きなくネットで「オタ話したい欲求」を解放することができるのですから。

まぁコレには「タコツボ化」を促進するという面もあるんですが、僕はネットの「マイノリティが同士を得る場」としての機能は、いくら評価してもしきれない程に、素晴らしいものだと思っています。


【1981年生まれは『オタク1.1』! 1990年生まれは『オタク2.0』!】
ここまで、「ネットの普及以前/以降」でマイナー趣味愛好家の感じる「疎外感」の違いをキーワードに、オタク世代論を展開してきました。

じゃあ、この世代分けの分水嶺はどこにあるのかというと、「14歳時点でのネット一般化率」がカギになるんじゃないかと僕は考えています。この時点で、ネットが普及して「いない」のが「オタク第1世代」、「いる」のが「オタク第2世代」と定義します。

14歳の理由は、「趣味による人間関係の細分化」が始まるのが、14歳頃だからです。子供の頃は、みんなアニメとかマンガとかゲームとか、オタク趣味を普通に消費しますからね。

僕の感覚では、1995年のWindows95発売頃から、日本のネットの「常識化」がじわじわと始まっていった気がします(ここらへんかなり適当なので、要微調整)。だから、オタク第1世代と第2世代を分けるのは、「1995年の時点で14歳以上か以下か」です。生年月日でいえば、「1981年生まれ以前か以後か」ということになります。

ただ、ネットの普及はじわりじわりと進行していったので、いきなり1981年で真っ二つに分けるのではなく、1981年生まれを「オタク1.1世代」とし、以後1年ごとに「オタク1.2世代」「オタク1.3世代」……としていきます。これをまとめたのが、↓の表です。

生まれた年
14歳を迎えた年
世代
1980年以前1994年以前オタク1.0
1981年1995年オタク1.1
1982年1996年オタク1.2
1983年1997年オタク1.3
1984年1998年オタク1.4
(略)
(略)
(略)
1990年2004年オタク2.0

このように、1990年以降に生まれた人間は、思春期突入時からネットが「常識」の環境に生きる「オタク2.0」ということになります。この世代にとって「趣味のタコツボ化」は既に常識ですが、ネット上で簡単に「同士」を見つけられる彼・彼女等にとって、このこと自体は苦痛でもなんでもありません。

この考え方でいくと、83年生まれのキールさんは「オタク1.3世代」ということになります。このあたりの世代では、結構な数のオタクさんたちが、思春期時代にネット上で「同士」を簡単に見つけれるようになっていたのではないでしょうか?実際、キールさんはこんなことを書いています。

http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20060923/p1
ネットと携帯の発達は色んな出会いをもたらしてくれました。

私の高校時代のヲタな友人の一人はお絵描き掲示板で知り合った中学生の子と仲良くなり、大学進学後付き合いだした奴がいました。コスプレや801趣味等の女性の多い趣味にも足を突っ込んでいたヲタ仲間は、かなりモテていてリアル学園ラブコメを謳歌していましたし、携帯やネットの出会い系で同じ趣味の彼女を作った奴もいました。

なんだそりゃ!これまで書いてきたように僕なんかは、ネットが一般化したのは思春期終わってからだったから、こういう話聴くと羨ましい限りですよ!!超ジェラシー!超エンビー!!


【まとめ】

  • ネットの常識化は、旧来オタクが思春期に抱きがちだった「疎外感」を大幅に軽減してくれたよ。
  • そのお陰で「非差別意識」を持たない「屈託のないオタク」という層が浮上してきたよ。
  • オタク世代論は「動物化」なんかじゃなく、「ネット普及以前/以後」で分けるべきだよ。
以上、東浩紀に真っ向からケンカを売ってみる実験エントリでした(笑)

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*1そんなわけで、僕は「やり込み」は、「消費量」が重視される「主流オタク趣味」とは、だいぶ異質な「オタク趣味」だと思ってます。

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2006年5月 6日 (土)

モテないとわかっていて、あえてオタク趣味を選択した?そんなヤツいるん?

【なんでモテないとわかっていながらそのような趣味を選択したのか?】

死に舞 - 文化的優劣について

↑の記事のブクマコメントより。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060501/p3
・ idiot817 『わかるような気はするんですけど、オタク/文化系女子はエロゲー/アイドル/ジャニーズ/BLとの関連がありますから、そのあたりがモテ/おしゃれと結びつきがたいことと関係あるように思います。超既出だと思いますが』

・shinimai 『>idiot確かに異性愛主義とそのような趣味がバッティングすることはあるけど、その場合はなんでわかっていながらそのような趣味を選択したかってことが問われても良いと思う。ブクマで回答しきれんんけど。 』

ここでid:shinimaiさんが疑問を持っている、「なんでわかっていながらそのような趣味を選択したか」について、ちょっと思うことがあったので、回答しようと思う。


【非モテ趣味だと知らずにオタク趣味を選択していた!】
まず、「なんでわかっていながらそのような趣味を選択したか」という質問について。これはそもそも、質問からしてなにか違うような気がする。

そもそも多くのオタク兼非モテは、「いい歳してアニメやゲームばかりやっているような人間はモテない」ということに、あまり自覚的ではなかったんじゃないだろうか。そして、気付いた時にはスクールカースト底辺に追いやられ、キャラ強制圧力により、再び「モテキャラ」に返り咲くことができなくなっていたんじゃないだろうか*1

これは僕の個人的体験論だから、どこまで一般化できるかわからないんだけど、少なくとも僕や僕の周囲の人間には、「モテないことを知りつつ、あえてオタク趣味を選択した」なんて人間は、いなかったと思う。そうではなく、「好きなこと(オタク趣味)をやっていたら、いつの間にかモテのレースがスタートしており、知らないうちにその中で劣等に位置づけられていた」といったほうが、当時の正確な感覚な気がする。


【むしろモテるためにオタク趣味を選択していた!】
……というよりも僕の場合、ゲームをやることによって、むしろモテようと考えていたフシがある。

というのも、僕にとってゲームが上手い人間は憧れの対象であり、お洒落な存在だったからだ。だったら僕と同じようにゲーマーに憧れを持つ女の子もいるだろうし、そういう人間なら僕のことを好きになるだろうと考えていた。

そういう女の子は数は少ないかも知れないけど、きっといると信じていた。だから僕にとってゲームを遊ぶ(上達する)ことは、むしろモテを呼び込むための行動だった。

でもこれは、完全に恋愛市場の需給を見誤った失敗策だった。そうして23になる頃、僕はついに「どうもこの市場には、女の子の需要はまったくないらしい」という結論に達し、脱オタすることにした。僕はかつてこのことを、mixiで↓のように書いたことがある。

ゲーメストで全一をとったり格ゲーの大会で優勝するような「ゲームを極めた者」は、僕にとって憧れの対象だったからだ。

僕にとって、「ゲームが上手い」ということは、「話題が豊富」「カオが良い」「趣味のセンスが良い」といったことと同列な、「モテ要素」のひとつだった。「ゲーオタはモテる」と、本気で考えていたのだ。なぜなら僕はゲーオタが大好きだったし、尊敬していたから。

しかしこれは、完全に恋愛市場の需給を見誤った、大失敗だった。女子は、恋人にそんな要素はこれっぽっちも求めちゃいなかった。

もっとも、この考えにはシロクマさんが言うところの防衛機制の要素も(多少は)入っていたように思えるし、たとえ「ゲームが上手いこと」が女の子へのアピールになったとしても、こんな受身な姿勢では、どっちにしろ彼女ができる可能性は極めて低かっただろうなと、今となっては思うんだけど*2


【天然趣味カーストAランクは、超ズルイ!!】
……とまぁこんな感じで、少なくとも僕の場合、「モテないことを知りながら、あえてオタク趣味を選んだ」わけではないのです。むしろオタク趣味は、僕の基準ではお洒落であり、モテだったのです。ただ、その基準は世間の基準とはズレがあり、需要が存在しなかっただけなのです。

だから僕は、

「ちくしょー!俺だってゲーマーがモテの世界に生まれていれば!たまたま好きなことが世間のモテ系に合致していた人間は、超羨ましいぜ!!そうだ、韓国行こう

などとルサンチマンをつのらせ、こんな記事を書いたりしているわけです。だから、id:shinimaiさんが疑問視している、

http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060501/p3
オタク趣味や非モテな人々が発するファッション論が、趣味の選択の自由というものを全く信頼していなくて、往々にしてその構造的必然性を主張するのである。

に対しては、「自分の経験から言って、そう考えざるを得ないからです。そして、おいしい思いにあずかっている(ように見える)趣味カースト上位連中(特に天然の!)が、『超ズルイ!』と感じるからです」と、回答しておこうと思います!!


【追記 2006.0506 PM.12:00】
id:shinimaiの記事の、「非モテは趣味の選択の自由というものを全く信頼していない」という指摘。コレ、非モテがスクールカーストのキャラ強制圧力で抑圧されていた経験から生じている感覚なのかも知れないなぁ。Cランクには、趣味選択の自由なんて、あって亡きが如しですよ、実際。やるなら節目にデビューするしかない。

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*1 スクールカーストで下位に追いやられてしまった人間には恋愛権など存在しないということは、「りはめより100倍恐ろしい」でも触れられていた。

*2白馬の王女様などいない。

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