2007年11月 8日 (木)

僕たちは、犯罪被害者の方たちの思いやりに対し、感謝するべきなのではないだろうか

【はしごたんは暴論。ブコメはさらに暴論】
・heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろブックマーク

はしごたんが言っていること自体は、暴論だと思う。ただ、はしごたんがなぜ人間に対してこれほどの敵意を持つようになったのかという背景を考えると、複雑な気持ちになる。

僕が不快だと感じたのは、はしごたんが持つ人間への恨みを「異常なもの」とし、「更正」しようとするような発言がブコメ等で多く眼についたことだ。それは、ただでさえ負の感情に染まっている人間を、さらに追い詰めることにしかならないだろう。


【赦すことなどできない】
「少年犯罪被害者遺族」という本がある。一方的な集団リンチにより息子を殺されるなど、惨たらしい少年犯罪の犠牲となった4組の被害者遺族と、ジャーナリスト藤井誠二氏による対談本。「更正」の名の元に加害少年に下される、罪に対してあまりにも軽すぎる罰に対して被害者がもつ、激しい怒りが痛いほどに伝わってくる名著だ。

この本の中で、被害者は繰り返し世間が抱く「赦す被害者像」を批判する。世間には「被害者は、加害者を赦すことで始めて救われる。加害者への復讐は、癒しにはならない」という空気が存在する*1。しかしそれは、世間が一方的に被害者に期待する都合の良い幻想に過ぎない。実際には加害者を赦すことなど簡単にはできないのだ。

そしてこうした「良き被害者像」が、ますます「そうなれない」被害者を追い詰める。被害者は、込み上げる恨みを声に出すことすら認められず、少しでもそうした感情を表に出そうものなら世間から非難を受けるのだ。被害者本人は、こう語る。

「私は加害者と罪を赦しません。癒されるなども私の生涯にありません。私の人生が終わるとき、私にとってこの事件も終わるのだと確信しています。」

「少年犯罪被害者遺族」 P.63 被害者遺族、宮田さんの証言


【「恨み」という自然な感情】
「恨み」は人間が持つごく自然な感情のひとつだ。加害者に酷く傷つけられ、加害者をどうしようもなく嫌悪してしまう人たちがいる。できれば加害者を殺してやりたい。そうした感情すらもつ。その感情が余りにも大きい場合、それが人間全般への敵意として発露されることもあるだろう。

そしてそれは、「自然なこと」だと僕は思う。人間が人間を好きになるには、理由がある。人間が人間を嫌いになることにもまた理由がある。人間を好きになれるような体験をしてこなかった者が、人間を好きになれるわけがないのだ。

世の中には、犯罪被害者に代表されるような「恨み」に支配された人間が存在する。僕はこのこと自体の価値を判断しようとは思わない。ポジティブな人間も、ネガティブな人間も、ただ人生を重ねるうちに「自然に」そのような人間になった。これは、どうしようもないことだ。

僕は、ただそのことを認めたいと思う。あなたが感じるその怒りの感情は、あなたが「異常」だからそう感じるのではなく、あなたの人生から導かれた「自然な」感情なのだと認めたいと思う。

もちろんこのことにより、彼・彼女等の「恨み」が軽減されることはないだろう。「自然な」感情だからといって、僕がはしごたんに恨みを向けられるようなことも、まっぴらごめんだ。しかし被害に遭ったうえ、そのことによって生まれてくる感情までも罪であるかの如く、今回のブコメのように糾弾されるようでは……あまりにも、やりきれない。


【僕たちは、犯罪被害者の方たちの思いやりに対し、感謝するべきなのではないだろうか】
「恨み」の扱いは難しい。僕たちはこの感情に対し、ただ身を固くし、耐えるしかないのだろう。「恨みの人」の中には、ついには感情を抑えることができず、怒りが爆発し、殺人に至る者も居るのだろう。それが「癒し」や「希望」となる者も居るのだろう。

僕はこのことに対し、何も言うべき言葉を持たない。僕が「恨み」の犠牲になることもごめんだ。ただ世の中の無常をひりひりと感じるだけだ。

人間にとって、負の感情を抑えることはそう簡単なことではない。しかし、彼等は耐えてくれている。僕たちは、犯罪被害者の方たちのこの「思いやり」に対し、感謝するべきなのではないだろうか。彼等が自らの「自然な」恨みの感情を抑え、苦しみを引き受けてくれるおかげで、僕たちは今日も生き延びることができているのだから。

僕は、彼・彼女たちに「恨み」を発露する権利を与えるべきではないかと思う。それがどの程度のものであるべきなのかは議論の余地があるだろうが、少なくともネットであの程度発露したくらいであそこまでボコボコにされるような状況は、被害者の人間嫌いと絶望をますます深めるだけだろう。


【ブコメにお返事がてら追記 2007.11/08 PM.23:00】

2007年11月08日 konichan 心理 気持ちはわかるが、その加害者と被害者のとぱっちりを何の関係のない第三者が受けるのはどうかと思う。そうして、被害者を新たな加害者にして新しい被害者を量産したいの?

2007年11月08日 blackdragon 倫理 恨みと逆恨みは別のもの。加害者を恨むのと、第三者にまでその恨みをぶつけるのは大違いではないかと。それでもそういう恨みが生ずるのは無理からぬことも確かだとして、感謝まですべきかはかなり疑問。

僕は本文に書いたように、被害者が恨みを持ち、他者にそれを向けることを肯定も否定もしません。というか、できません。その感情はただそこに在るもので、被害者にその感情を我慢しろということも暴力であれば、被害者がその感情に従い、他者を傷つけることも暴力だからです。

だから僕は、被害者にこのどちらの判断も下すことができません。ただ世の中の無常を感じるだけです。

恨みの感情というものは、社会の「汚物」なんだと思います。時限爆弾を、みんなでパスし合っているようなものです。そしてこの時限爆弾は、失くすことは絶対に無理で、いつか誰かの元で爆発し、被害者を出すことになる。

恨みの処理は、社会システムの問題です。かつて、ハムラビ法典では「眼には眼を、歯には歯を」というルールで恨みの感情を処理していました。この方法には、「恨みが加害者⇔被害者間以上に広がらない」というメリットがあります。反面欠点は、被害者と加害者が入れ替わりつつ、復讐の連鎖が繰り返されることです。

そしていまの日本社会では、恨みの感情は主に被害者が耐えることで処理されています。確かにこのシステムは「みんな」にとっては都合が良い。被害者が「恨み」と共に死んでくれれば、それ以上「恨み」が広がることはないわけですから。

しかしこのシステムは、被害者への負担があまりにも大きいシステムです。だからせめて、被害者が恨みの声を挙げることくらいは、黙認してあげたい。そしてもし、被害者が恨みの感情を自分の中で耐えることを選択してくれると言うのであれば、それは本当にありがたい、奇跡のようなこと。僕たちは、その慈悲の心に感謝するべきではないのか。僕が書いたのは、そういうことです。

そしてもし、被害者が恨みを関係ない第3者にまで向け、恨みの連鎖が無限に引き起こされるのであれば……世の中とは、人間とはそういうものだと無常に考えるしかないのではないでしょうか。僕には、被害者に恨みを耐え、時限爆弾と共に死ぬことを強制することはできません。

その「恨み」の矛先が自分にだけは向けられないよう、心の底から願いながら。

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*1 確かに映画や小説でも、こうした話はよく眼にする。

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2007年3月 2日 (金)

そこそこのIT技術者に求められる素養の第一は「人柄」ではなく「技術」

【そこそこのIT技術者に、コミュニケーション能力は要らない】

町場のSEに求められる素養の第一は「技術」ではなく「人柄」
プロ^2グラマーは社交が8割

共にSEやプログラマといったIT技術者に一番必要な能力は、「人柄」なり「社交」なり、要は「コミュニケーション能力」(以下コミュ力)だよというお話。

でもコレ、違うと思うんですよね。このふたつの記事の前提になっているのは、「『優秀な』IT技術者を目指す人間にとっては」ってことなんじゃないかなぁ*1

「そこそこの」IT技術者には、コミュ力なんて要りませんよ。まぁ最低限の業務連絡をこなせるくらいのコミュ力は流石に必要だけど、ここに書いてあるような高度な社交術は必要ない。実際僕がこの業界周辺で8年間働いてきてひしひしと感じている印象は、「非コミュでも平気な業界」だし。

本当にコミュ力が第一の素養として求められるのは、やっぱり営業のように、社交性がそのまま仕事に繋がっている仕事ですよ。非コミュな人間が営業をやるハメになるのは、本当に悲惨としか言いようがない。非コミュは、営業という職種では「そこそこの」営業になることすらできない。この記事の中の人のように鬱になったり、速攻でクビになったりするのがオチ。

でも、IT技術者は違う。コミュ力なんてなくても、技術がわかれば「そこそこ」仕事をすることはできる。営業ではコミュ力は「必須能力」だけど、IT技術者にとってコミュ力は「上に行こうと思ったら必要な能力」でしかない。この違いは大きい。

だから非コミュの人はこういう記事読んでも「あぁ、俺コミュ力に自信ないからIT技術者目指してたけど、ここでも一番必要なのはコミュ力なのかorz」なんて思わないで欲しいな。そして、今回取り上げたような記事を書く人たちには、「あまりにも業界の実態とかけ離れたことを書いて、非コミュを不安に陥れるのは止めて欲しい」と言いたい。僕自身若い頃、この手の文章を読んで将来に自信なくしたりしてたし。

IT技術者が「そこそこ」やっていくために一番必要な素養はやっぱり技術力で、コミュ力なんかでは決してない。これは声を大にして言っときたいところ。そして、コミュ力が低くてもなんとかなっちゃうこの業界を、僕はとても気に入っている。

まぁ確かにコミュ力がないと「優秀な」IT技術者にはなれないかも知れんけど、別にこの業界で働いてる人たちみんながみんな、「優秀な」IT技術者目指してるわけでもないし、その必要もない。

世の中には、こういう非コミュに優しい場所も必要だと思わんかい?(´ー`)y-~~

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*1 まぁ、僕は優秀なIT技術者ではないのでよくわかりませんが。

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2006年6月10日 (土)

他人が面白いと思わないことでカネを取るのは、他人への裏切りだ。自分が面白いと思わないことでカネを取るのは、自分への裏切りだ。

【自分がオモシロイ!と思うモノでカネを取る VS 他人がオモシロイ!と思うモノでカネをとる】

・日々書きつづられている。 - 今日の吉田さん http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060609/1149847658

自分でオモシロイ!と思えないようなもんで金をとったらアカン!楽して金もうけできる思ったら間違いや!そのためには納得がいくまでつきつめなくてはならないのだ。至極、まっとうだ。大体、自分に自信がないものを世に出すとロクなことがない。これはそのうち大事をするための仮そめの私…なんてスペア作って生きてると人生の無駄としか思えないのでなるべくそういうことはしたくないんだ


http://b.hatena.ne.jp/entry
/http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060609/1149847658

・partygirl (*^ー゚)ノ ♡, あげあしとり 『自分でオモシロイ!と思えないようなもんで金をとったらアカン!>どうだろ・・・他人が面白いと思わないもので金取ったらアカンとは思うけど』


僕的には、
  1. 自分でオモシロイ!と思うが、他人がオモシロイ!と思わないもんで金をとる……他人への裏切り
  2. 自分でオモシロイ!と思わないが、他人がオモシロイ!と思うもんで金をとる……自分への裏切り
  3. 自分でオモシロイ!と思うし、他人もオモシロイ!と思うもんで金をとる……理想
  4. 自分でオモシロイ!と思わないし、他人もオモシロイ!と思わないもんで金をとる……あらゆる意味で失敗
って感じかなぁ。

理想は3なんだけど、これっていうのは時代の流れと自分の相性ってのがあるから、狙ってできるようなもんじゃない。2は確かにカネ出した人は幸せになってるんだけど、自分としてはつまらないし、「ホントにそんなもんで良いんすか?」みたいな変な罪悪感に見舞われてしまいそうだ。

だから僕は、1の「自分でオモロイ!と思う」モノやコトをやることを基本にして、それに共感・賛同する人からだけカネを取るっていうのが理想だと思ってる。で、運がよければ3がついてくる、と。最初から3を目指すのは、なんか違うんじゃね?

カネはとってないけど、自分がブログ書いたり服装決めたりするときは、基本こんな感じで考えてるなぁ。

ただ、「カネを取る」が「生活の糧を得る」レベルにまでなってしまうと(=職業になってしまうと)、なかなかこういうことは言えなくなるけどね。だからモノ作って自分を裏切りたくない人は、プロにならずにアマチュアでのんびり自分が好きなことやってりゃいいんですよ。みんな、岡田斗司夫の「プチクリ!」読むといいよ。

プチクリ! プチクリ!―好き=才能!
出版社/メーカー: 幻冬舎
発売日: 2005/12
メディア: 単行本
http://d.hatena.ne.jp/asin/4344010825


僕は世のあらゆる文化は、作り手が種を蒔いて、受け手が育てるもんだと思ってるんですよ。そして、文化が育つ場所っていうのは、商業主義の届かない場所であったほうが、多様性が出て面白い。

クラブ、ゲーセン、ネット……僕が好きなこれらの場所はみんな、
・受け手が
・商業主義でない場所で
・自分がオモシロイ!と思うことをやって
育ててきた文化。だから僕は、これらの文化は「オモシロイ!」んだと思うんだよなぁ。

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