努力が実現する社会を目指すよりも ~NHK 「日本のこれから」を観て~
【面白かった!】
「日本のこれから」格差社会の回の再放送を、3時間ぶっ通しで見た。
経営者は経営者らしい、フリーターはフリーターらしい、労組員は労組員らしい、高校教師は高校教師らしい、発言者それぞれのバックボーンが伺える発言が多く、立場の違いからくるいろいろな考え方を聞くことができ、とても面白かった。
生理的に受け付けない発言・拍手を送りたくなる発言も多く、どちらも刺激的だった。たぶん、こういった「雑多な意見の羅列から、視聴者に考えるキッカケを与える」ことが番組の趣旨だと思うので、この点では成功だったといえるのではないだろうか?
討論ライブ形式ということで、全体的にまとまりがない印象を受けたが、それを補って余りある「ライブ感」があったと思う。この番組に、深い議論や専門家の視点を求めること自体が間違っているだろう。そういったことは、この番組を見た後で、関連する本なりブログなり、しっかり論理的にまとまった文章を読んだほうがいいと思う。
【強者の論理は全員に当てはまるわけではない】
全体の傾向として思ったのは、勝者である経営者は、やはり強者の論理で動いているのだなぁ、ということだ。いろいろなところで話題になっている、労組員の方の「堀江さんは勝者だから、弱者の気持ちがわからないんだ」発言、本当にその通りだと思う(堀江社長はムッとしていたようだが)。
個人的な話になってしまい申し訳ないが、私は脱オタに関しては勝者なので、「オタクでも頑張れば誰でも脱オタでき、非モテを克服できる」というポリシーを持っていた。しかし、このブログを続け、ネットをいろいろ廻ってみるうちに、私はどうも特別に幸運な例外だったのだと思うようになってきた。
ファッションセンス・元の顔・モテに投資するカネと時間・協力してくれた友人達・・・・・・当時の私には、すべてが揃っていた。私が努力で勝ち取ったと思っていて、誰もが努力で勝ち取れると考えていたモノは、実は「元から優秀である」・「元から環境的に恵まれている」という前提無しには、絶対に実らないものだったのだ。
かつてうちのブログで、「友人が脱オタに失敗し、引きこもりになってしまった」とコメントをくださった方がいた(ここのタツユキ氏)。あのとき私は、「脱オタにはリスクがつきものなので、現状でよしとするか、危険を冒してでも攻めるのかは、本人が判断するしかない。」と答えた。脱オタには、途方もないコストがかかることを身を持って体験している私には、同じことを他人に強制することはできないという気持ちがあったからだ。
「僕が成功したのは努力したからです。だからあなたも努力すればいい。」堀江社長は言う。
確かに、努力無しでの成功はあり得ない。だから、この意見の半分は正しい。だが、成功のコインの裏側には、「ただし、才能と環境の前提を持つものに限る」という、残酷な注意書きが刻印されているのではないだろうか?
たぶん私には、「努力しても努力してもモテないキモメン」の気持ちは、一生わからない。「努力が足りないんじゃねーの?」という気持ちが、必ずどこかに入り込んでくる。私が、努力によってモテてしまったからだ。努力によって金持ちになってしまった堀江社長も、同じだろう。
しかし、世の中は努力だけでどうにかなるものではないのだ。努力は必要条件であって、充分条件ではない。いや、一部の者にとっては必要ですらないかも知れない。
「努力が報われない社会は絶望を生む」と「希望格差社会」は説く。しかし、そもそも努力など滅多に報われないのが、世の常ではないのか?努力が報われる社会の実現ではなく、努力が報われなかった人々がどのように絶望せずに生きるかを考えることのほうが、建設的である気がする。
| 自分はこの日本という格差社会の中で生きて行かなくちゃいけない。さてどう生きて行きたいか、15文字以内で。 |
最後に出せれたこの質問に対し、フリーター青年のひとりが「明るい諦観」と答えた。10年・20年後、彼が同じことを言える社会になっていることを期待したい。
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Comments
難しくもやばいテーマですね。
努力を諦めれば楽になる、一方で、努力を諦めれば
周囲との格差は決定的なものになる...。
仕事や収入の話はともかく、対人コミュニケーション
のなかでも特に異性獲得競争の分野については、
これはたぶん間違いないでしょうねぇ。
仰るように、一定の悪い条件が揃っているケースでは
努力による投資効果が際立って悪いという事は十分に
あり得る(というより実際ある)ことですからね。
諦めるしかないor積極的に諦める、ということを
決める主体は本人なんでしょうけど、投資効果が
悪いということをどこでどうやって知るのかが
また問題となってくるような気がします。
逆転の可能性の高い人も、相対的に低い人も、
逆転前は皆「俺って駄目だなー」って思っている
と思いますから。
Posted by: シロクマ | April 06, 2005 at 08:53 AM
> 投資効果が
> 悪いということをどこでどうやって知るのかが
> また問題となってくるような気がします。
これは結局、「やってみなければわからない」ということだと思っています。「やってみたがダメだった」と「やる前からダメだと思い込んでいる」では、同じ「諦める」にしても、格差に対する「納得感」がまったく違いますから。だから、失敗のリカバリーが効きやすい若いうちは、なんにでもチャレンジしてみろというのは、まったく正論だな、と。
リンクさせていただいた「しろはた」の本田氏などは、チャレンジの末に女性を捨てた方なので問題ないと思うのですが、問題なのは「やればできる」と思っているだけで、動こうとしない方ですね。「健全な諦め」のためには、まずは「やってみる」ということが不可欠なのかもしれません。
……しかしそう考えていくと、金銭・時間等の条件から、「やってみる」こと自体が不可能な層の存在が考えられます。そういった層は、いったいどうやって健全に諦めればいいのか……
こういった方達まで、すべて「努力不足」という名の自己責任とされ、生まれ・人種・環境(モテの場合はカオ)等、努力では修正できない要因に責任転換できない「努力万能主義」は、実はとても残酷で危険な思想なのかもしれないと、シロクマさんのコメントを読んで考えました。現実には、努力不足だけが敗北の要因であることは、稀でしょうに。
努力には、生まれの不平等を緩和する効果はありますが、決して「万能」ではないわけで。努力の力を過大評価することには、大きな問題がありますね。
Posted by: Masao | April 06, 2005 at 08:48 PM
>金銭・時間等の条件から、「やってみる」こと自体が不可能な層の存在が考えられます。
つくづく思うんですが、この問題って結構見過ごされがちですね。恋愛するにもファッションに拘るにもそれ相応の費用がかさむことは、消費社会によって評価基準がある程度決まってしまう今の恋愛事情では不可避だと思います(例外がないわけではないでしょうが、"例外"を超えるのかどうかは疑問・・・)。Masaoさんも脱オタクファッションに相当お金をつぎ込まれたわけですし、素人が安価に済ませるのは決して容易ではないと思います(私の経験に基づけば、小物・髪型なども含め、素人が最初に1年分揃えるのに最低20~30万円の投資は必要で相当な決断がいるはず・・・)。"消費"自体が努力やコミュニケーションに必要なツールとなってしまっていることが格差拡大の1つの大きな原因だと思います。貧困層の場合、仮想(2次元)も現実(3次元)にも居場所がないことになりかねません。それにカオや家庭環境などの生得的要素が加わればもうお手上げですね・・・。
階級のあった時代とは違って、異なる層に属する人同士のコミュニケーションがほとんど避けられない以上、それを成功させるために、立場の異なる他者の事情や価値観を推し量る想像力、そして、最初は判らなくても無条件にある程度相手を受け入れるだけの包容力をもう少し身に付けさせるような対策なり教育が必要かと思います。特に上層に属する人にはノブレス・オブリージュは絶対に必要かと。
(番組をご覧になってお気づきだと思いますが、下層に属する人は議論するための能力や自信すら持ち合わせていない場合が少なくないですし、こういったことに暴言を発している方が他のいくつかのサイトで散見されたのが残念です。そう言いたい気持ちがわからないわけではないんですけれど・・・)
Posted by: bluede | April 06, 2005 at 11:28 PM
>つくづく思うんですが、この問題って結構見過ごされがちですね。
戦後日本は、一億総中流の平等神話が続いてきましたからね。機会不平等の存在に、鈍感になっているのでしょう。そして、ありえない機会の平等に基づいた自己責任論が、弱者をより苦しい立場に追い詰めているのだと思います。
>立場の異なる他者の事情や価値観を推し量る想像力、そして、最初は判らなくても無条件にある程度相手を受け入れるだけの包容力をもう少し身に付けさせるような対策なり教育が必要かと思います。特に上層に属する人にはノブレス・オブリージュは絶対に必要かと。
本当にその通りですよね。私がこのブログで非モテネタを書いているのも、ノブレス・オブリージュを実行したいという気持ちでやっているわけですが……
今の世の中、ありえない平等を前提とした、「勝てば官軍」・「敗北は自己責任」の論理が強すぎると思うんですよ。この論調が強くなりすぎると、「勝てば何をやっても許される」という特権意識を勝ち組が持つようになり、世の中はどんどん一握りの強者に都合がいい世界になっていきます。
そして、強者有利のゲームに付き合いきれなくなった弱者達は、「やってらんねー」となり、ゲームへの参加自体を放棄するようになります。今、ニートや非モテが増加している背景には、こういった流れも一因としてあるのでしょう(以前私は、この構図をシューティングゲームの歴史に例えて書いてみました)。
弱者にゲームを放棄され、マイクロテロに走られては、社会システムが立ち行かなくなり、結局は強者も滅びの道を辿ることになるわけですが、これも強者の自己責任ですよね(皮肉)。
このへんのテーマについては、私もいろいろ興味を持っているのですが、まだうまく考えがまとめられていません。
(1).希望格差が問題なのか?下層に実現不能な希望を煽りすぎることが問題なのか?
(2).強者にいかにして弱者の立場を理解させ、欲望の暴走を食い止めるか(ノブレス・オブリージュを実行させるか)
(3).もはや総中流を維持するだけの富が、日本には残っていない現実を前提とした議論・政策の必要性
といった辺りがポイントだと思うのですが……
このへんについては、いつかまとまった記事を書いてみたいと思っています。
>下層に属する人は議論するための能力や自信すら持ち合わせていない場合が少なくない
現在の社会風潮では、敗北を社会責任とした理論を展開することに対して風当たりが強いということが、一因としてあると思います。
Posted by: Masao | April 07, 2005 at 09:32 PM