カオはココロより重い
【カオ=絶対評価 ココロ=相対評価】
恋愛において、カオはココロより重い。ココロの良し悪しは相対評価だが、カオの良し悪しは絶対評価だからだ。「気が合う」とは、「自分にとって」気が合っているにすぎない。
真面目で落ち着きのあるA氏は、ある人にとっては「安心感のある人」だろうが、ある人にとっては「つまらない男」だろう。
お笑い系でハイテンションなB氏は、ある人にとっては「明るくて面白い人」だろうが、ある人にとっては「うるさい人」だろう。
遊び人のC氏は、ある人にとっては「刺激的な人」だろうが、ある人にとっては「信用の置けない浮気者」だろう。
暴力的なD氏は、ある人にとっては「怖くて近寄り難い人」だろうが、気弱な人はD氏に憧れるかもしれない。それどころかMの人にとっては「もっと私を殴って~!」な人かも知れない。
ネクラなE氏は、ある人にとっては「暗い人」だろうが、ある人にとっては「無理矢理話をしなくてもいい落ち着く人」かも知れない。
つまり、性格の良し悪しとは「相性」でしかないということだ。これに対して、「外見の良し悪し」は違う。美人は誰が見ても美人であり、ブサイクは誰が見てもブサイクである。
もちろん、外見にも「好み」という相対的要素はある。小倉優子が好きな人もいれば、藤原紀香が好きな人もいる。キムタクが好きな人もいれば、福山雅治が好きな人もいる。
しかしそれは、「美人」というカテゴリーの中で、どのジャンルが好きかという話をしているに過ぎない。「美人VS不美人」であれば、勝つのは99%美人である。残りの1%は、「デブ専」「ハゲ専」といった「フェチ」である。性格に比べれば、あまりに低い相対性と言わざるを得ない。
私の友人女性が言っていたことがある。「性格なんて、相性じゃん?だから、まずは絶対的な評価のある外見で選んで、内面はその後の順番になるのは、当たり前だよね」本当に、そのとおりだと思う。
【なぜこのようなことを書くのか】
私がこのようなことを書くのは、内面重視派の怒りや、ブサイクな方の失望を誘発するためではない。ただ、こうした残酷な現実を直視する必要性を、訴えたいだけだ。
非モテに対するアドバイスとして、「内面を磨け!」というものがある。しかしこれは、実際にはまったく役に立たないアドバイスだ。どんな性格でも、好きになってくれる異性は必ずいるし、嫌いになる異性も必ずいる。性格は「相性」であり、「良し悪し」ではないからだ。
これに対し、絶対評価であるカオがブサイクな人間を好きになってくれる異性は、絶望的に少ない。ゆえにブサイクは恋愛関系に到達できず、「内面」の相性を見る・見られる機会も限られてくる。ブサイクは、相性のよい性格のパートナーにめぐり合う確率が、美人より低くなってしまうのだ。
私は、非モテに対する「内面を磨け」系のアドバイスを見る度に、怒りがこみ上げてくる。なにも非モテのことを考えていない、欺瞞に満ちたアドバイスだ。
もし、本当に非モテのことを考えるのであれば、「外見を磨け!イケメン・イケコになれ!!」である。そしてそれを達成した後、「数多くの異性と付き合ってみろ!!」である。これ以外に、非モテに対してアドバイスすべきことはない。外見さえよくなれば、あらゆる異性から、自分と相性のいい内面を持った異性を探すことができるからだ。
カオはココロより重い...! そこの認識をごまかす輩は生涯地を這う...!! |
もし、あなたが本当に非モテを克服したいのであれば、内面はそのままでいいから、外見を磨かなくてはならない。話はそれからだ。
【追記】
カオ同様に、カネもまた絶対評価であることを、つけ加えておく。その意味で、ホリエモンは、圧倒的に正しい。
【さらに追記 2005.06/01 21:30】
ゴスロリ等のフェチ系ファッションに走る者に不美人が多いのは、自分が勝利するにはもはや、1%のフェチ系市場を狙うしかないという事実に、本能的に気付いているからかもしれないとふと思った。
ゴスロリ・パンク系の方達は、反社会の象徴としてこういったファッションを身につけているのであって、モテとは関係ないという指摘をいただきましたので、訂正させていただきます。
【さらにさらに追記 2005.06/01 22:00】
これまで述べてきたように、「カオ>ココロ」は動かせない事実ですが、性格による有利・不利も恋愛の重要な要素のひとつです。
この記事では、あくまで「カオのほうがココロよりも重要」ということを言いたいだけで、性格がまったく必要ないと主張したいわけではありません。ただ私は、性格に「良し悪し」があるのではなく、「有利・不利」があるのだと思っているわけですが。(詳細はこちらの記事を参照)
【追記~ 2005.06/03 9:00】
今回の記事は、「非モテ脱出」「人間関係構築のとっかかり」へのアドバイスを主眼にしているためこのような内容になっていますが、すべての人間関係で「カオ>ココロ」が当てはまるわけではありません。あくまで人間関係構築前段階においては、「カオ>ココロ」なわけです。(参照1)(参照2)
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Comments
あえて、あえて反論したい!
Masaoさんの恋愛感からの考察であることは過去の記事からも知っています。
でも、だからこそ言いたいのですが
「そこまで夢も希望もない世の中ではありませんよ~(ToT)」
建前に過ぎないと言われるかもしれません。
でも、こんな建前の希望も無いんじゃ酷すぎる世の中じゃありませんか。
あまり説得力のない精神論ですみませんです・・・。
ゴスロリ系に関しましては筋だった反論をば。
なにせ、コスプレ界には無茶苦茶多いんで・・・。
彼女ら(たまに「彼等」もいますが)がゴスロリやパンク系に走るのは「同族とつるみたいから」なんですね。
好きだから着ているのではなくて、一般人勢力に対抗する自分達の団体(あえて国とでも言いましょうか)を結成する為の「制服」なんですね。
ゴスロリ=フェチなんて言ったら呪われますぜ・・・。
あくまで恋愛資本主義とは異なる「ゴスパンク民主主義反恋愛資本主義共和国」なんですから。
確かに、ゴス、パンク同士の男女が恋愛をすることは多々ありますが、それは恋愛資本主義をあえて否定しつつも同属内で恋愛してしまう・・・。
言うなれば恋愛共産主義の矛盾。
Masaoさんよりも俺の方が呪われそうですね・・・。
Posted by: 天馬唯 | June 01, 2005 at 10:43 PM
思い出しましたのでさらに捕捉。
ゴスロリ、ひいてはオタクの幸せの関わり方のついては獄元野ばら氏の「下妻物語」をオススメ致します。
深キョンの映画も面白いですが、肝心なメッセージが多少曖昧ですので原作をプッシュします。
あれはゴスやロリータを認めろ!って世間に強要する話ではなくて、そういうカッコをする以上は差別は当然ある。それがどうした?やりたいことをやれば風当たりが強いのは当たり前、つるんでないで一人で立ってみせろや!
という、つるんでいじけているゴスロリ不美人にたいする怒りの書なんですね。
そんなもんを読んで獄元野ばらを尊敬できるゴスロリ不美人が理解できませんが。
Posted by: 天馬唯 | June 01, 2005 at 10:52 PM
> 好きだから着ているのではなくて、一般人勢力に対抗する自分達の団体(あえて国とでも言いましょうか)を結成する為の「制服」なんですね。
なるほどそういうことなんですか。私、ゴスロリ方面は全然疎いんで、あの部分は思いつきだけでモノを言ってた感が強いです。すみませんでした。フェチの記述に関しては、訂正しておきますね。
下妻物語、面白そうですね。ちょっと読んでみようかと思いました。しかし、最近積まれてる本が多すぎ(^-^;
> カオがココロより重要な世界について
天馬さんは、「カオがココロより重要な世界」を「救いがない」とおっしゃいますが、本当にそうでしょうか・・・・・・
私はむしろ、内面で人間が序列化される世界のほうが、残酷だと思います。性格を変えることのほうが、外見を変えるよりも難しいからです。また、性格の序列が存在する世界は、思想・行動の自由が著しく制限される世界でもあります。
幸いなことに、現代日本は「美人有利」とはいえ、恋愛するのにそこまで高い外見レベルが要求されているわけではありません。高望みさえしなければ、努力により、多くの者は「恋愛可能レベル」まで到達できると思うのです。もっともこれは、私の外見が元からそれほど酷くなかったから言えるのかも知れませんが・・・・・・・
私がもっとも憤りを感じているのは、非モテがとりあえず恋愛をするには、まず外見を変えるのが一番効率的であることは間違いないのに、「性格に問題がある」などと、見当ハズレなアドバイスをする者が多いことに対してです。
それは、回答者の自己満足・偽善・欺瞞であり、相談者にとってなんの利益にもならないと言いたいのです。
Posted by: Masao | June 02, 2005 at 12:27 AM
真理ですけど、
なんかものすごく当たり前のことのような気がする
モテない人だって、「モテるには容姿を磨く必要がある」ってことくらい
百も承知だと思います
Posted by: ロサ・フェティダ | June 02, 2005 at 10:25 AM
確かに審美的価値が重要なのは間違いない
でしょう。ショーペンハウエルも「美は公開の
推薦状である」という陰惨な格言を残して
いますが、陰惨ではあっても本当のことだと
思います。
ただ、見た目の価値はよほど突出して
いない限り、それが決定的なプラス修正に
働くものかどうかには疑問の余地が残ります。
審美的価値は、必要だとは思います。ですが
長期に渡って有効な関係を作っていくには
十分なアビリティではないと思うんですよ。
おそらくですが、
・より若い世代で
・より女性において
・より短期間の関係構築において
・より短期的戦略しか持ち得ない相手に対して
に対してほど「見た目>内面」というのは
当てはまっているのではないでしょうか。
見た目をある程度整えるスキルと、最低限の
先天的優位性は誰にでも必要でしょうが、
見た目によってアドバンテージが得られやすい
関係と、そうではない関係が存在する事に
留意する必要はあるでしょう。
...それと、見た目や容姿が良い事自体よりも、
見た目や容姿が良い事に伴ってえられるもの
(自信とか、承認される経験とか)がバイアス
となってイケメンの適応を向上させている
可能性にも留意すべきでしょう。どんなに
みてくれが良くても、度胸も自信もない男は、
男からも女からも罵倒されるわけですし。
Posted by: シロクマ | June 02, 2005 at 08:17 PM
>見た目によってアドバンテージが得られやすい
>関係と、そうではない関係が存在する事に
>留意する必要はあるでしょう。
適切な突っ込み感謝です。
私も前に「外見=センター入試理論」の話とか書いてるんで、そこらへんはわかっちゃいるんですよ。私も、カップルに恋愛相談されたら、「浮気するなよ」「パートナーを大事にしろよ」って、内面的なことアドバイスしますし。でも、非モテに相談されたら、やっぱりここに書いたようなアドバイスをするでしょうね(というか、リアルで実際したことありますし)。
この記事で一番言いたいのは、非モテに対する「内面を磨け!」っていうアドバイスが、いかに見当ハズレかってことなんです。非モテはまず、異性と付き合ってみないことにはどうにもならないわけで、そういったときはやはり、「カオ>ココロ」だよなぁと。
>見た目や容姿が良い事自体よりも、
>見た目や容姿が良い事に伴ってえられるもの
>(自信とか、承認される経験とか)がバイアス
>となってイケメンの適応を向上させている
>可能性にも留意すべきでしょう。
このへんも含めて、非モテにとっては「カオ>ココロ」だと思っています。まずはココロよりもカオを磨いた方が、他者からの承認を得やすくなりますから。他者の承認を得られれば、自信もつきます。ココロは、カオの後からついてくるわけですね。
・・・・・・ちなみにこの記事を書いたキッカケは、「ビューティーコロシアム」見てたら出場者に対して「いい歳して外見なんかでいじけて云々」と言い放つアドバイザーが出てきてブチ切れたからだったりします(^-^;
Posted by: Masao | June 02, 2005 at 09:57 PM
私は、内面はおおむね評価相対であるからこそ、素晴らしいのだと考えています。
ただし、それは外見の絶対評価的側面を否定するものではありません。
また、脱・非モテのためのノウハウとしてなら、外見の向上を優先すべし、というMasaoさんの意見には、ほぼ全面的に賛同しています。
しかしながらそれは、飽くまでも現状肯定を出発点とし、そこへの適応を目指すための「サバイバル術」としての賛同です。
外見に惹かれるのは、人間に限らず、動物にも見られる「本能」です。これを否定することは相当難しいでしょう。
しかし、「本能」を是とし、ましてやそれを絶対化することは、あまりにも「易きに流されすぎ」だと考えます。
ここから先は、Masaoさんのおっしゃる「脱オタ」「非モテへのアドバイス」等の観点からは外れ、理想論、べき論へとシフトしてしまうので、書いて良いのかどうか分かりませんが、「外見に惹かれる」ということが、これほどまでに本能に近い行為であるからこそ、人は理性を用いて、それを「理解」しなければならないのだと思います。
要は、「分かったうえで」外見を優先させればOKだ、ということなんです。
「外見を磨けば選択肢が広がる、だからとにかくまず外見」というような、結果オーライを目的としたブラックボックス的ノウハウの行使ではなく、「外見に惹かれやすいのは生き物として仕方のないこと、でも、ここで一旦立ち止まってよく考えてみよう…その魅力は本質的なものか否か? 惑わされているだけではないか? 差別意識の裏返しではないか? etc...etc..etc.. でもここは、とりあえず本能に従ってみよう…考えることは止めずに」というような、本能と理性とのせめぎあいがあってしかるべきなんですよね。
それでこそ、「知性ある生き物」としての人間のあり方ではないかと思うのです。
非モテは、恋愛社会においては「弱者」です。しかし、その弱者が「サバイバル」を強いられる社会というのは、野生動物の社会と同等ではないでしょうか。
弱者が弱者として、そのまま穏やかに生きてゆけ、また同時に、それが決して安逸ではなく、各人のペースに合わせて、生きていくのに最低限必要なだけの「強さ」を自然と身に付けてゆける社会こそが、知的生命体の理想社会だと考えます。
これがあまりに理想論に過ぎることは、私自身も理解しています。
ですが、恋愛や人間関係というものは、放っておけばすぐに本能が顔を出してくる局面です。これは、言い換えれば、法律や規則に縛られにくいということでもあります。
こういった面があるからこそ、残酷だとも言われるわけですが、逆に言えば、そういった思想信条の問題だからこそ、理想論の入り込む余地が大いにあると思うのです。
相対評価であるということは、すなわち「心の持ちよう」なわけですから、その他には何ら必要とするものはないわけです。物理的なコストは掛かりません(多分…)。
それでも、「弱者」が「サバイバル」しなければならない現状は依然としてあるわけですが、それは生きてゆくための手段であって目的ではありません。それができないからといって、何らさげすまれるいわれはないわけです。
そして、この「さげずみの構図」に関して、男/女、モテ/非モテ、で大雑把に人を分類し、その格差順に並べると、
1.モテ男
2.モテ女
3.非モテ女
4.非モテ男
となるわけですが、「モテ男が全てを取り、非モテ男が全てを取られる」というような構図になり、中間層はいません。
ピラミッドの頂上には男性が鎮座しているため、女性差別だとも言われるわけですが、その糾弾の矛先は、抑圧者の「モテ男」には向かず、最下層の「非モテ男」に向けられることが大半です。
ひどいことに、「非モテ女」層においてすら、「非モテ男」は差別の対象になります。
逆に、「非モテ男」はルサンチマンこそあれ、どこへも影響を及ぼすことはかなわず、たまに『電波男』のように爆発することがあっても、他の層からはまともに相手にされることはありません。さらにひどいことに、「非モテ男」層内ですら、内ゲバが起き、抗争が渦巻いています。
「非モテ男」にとっては、「女」の全てが恋愛対象ですが、「女」側ではモテ/非モテに関わらず「モテ男」だけが恋愛対象となっています。
これは、ひどく単純化しすぎた構図ではあり、例外も多数あるとは思いますが、つまるところ「非モテ男を相手にする層はいない」という悲劇がそこにはあります。
この悲劇を出発点として考えたとき、特に男性の、「非モテからの脱出」がいかに難しいものであるかがお分かりいただけるかと思います。
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長くなってしまいましたが、最後に、「外見的魅力」について深く考えされられる書籍を紹介させていただきます。
『あなたの人生の物語』
(テッド・チャン / ハヤカワ文庫SF)
http://amazon.jp/o/asin/4150114587/
このうちの「顔の美醜について――ドキュメンタリー」という一編です。
「カリーアグノシア」という機械的な美醜失認処理が可能になった社会を描くSFです。
文字通り、顔の美醜が分からなくなる処置ですので、容貌差別(ルッキズム)に毒されずに生きてゆけるぜ、ということなんですが、これを強制することはつまり、昨今の青少年保護育成を目的とした規制と同じく「臭いものに蓋」式の、どうしようもない対処療法ですし、物語としても、「顔の美醜を "無かったこと" にしようが、また別の魅力で格差が生まれるだけ」ということが描かれています。
私としては、審美意識を自在にON/OFFできるということの素晴らしさが、この物語の一番の魅力だと思いました。
それによって、自分の意識に、どのくらいバイアスが掛かっているかを「実感」することができる、こんな素晴らしいことはないだろう、と。
これは、SFだからこそできた思弁実験だと思います。
本当に長くなってしまいました…言いたいことがちゃんと伝わっているかどうかも怪しいものです。私の文筆能力に至らないところがあり申し訳ございませんが、汲み取っていただきましたらさいわいです。
Posted by: 益田ラヂヲ | June 03, 2005 at 09:03 AM
性格が良くなったら顔つきや表情も良くなりますよ。
Posted by: 鳥蔵 | June 06, 2005 at 08:47 PM
少し話がそれてしまいますがMasaoさんの論考のスタンスでお伺いしたいのです。
非モテが手っ取り早く女性と知り合える機会を得るには外見を変えることというのは同意できるのですが、外見を変えるというのは一般レベルでけしてお洒落ではないが小汚くない、人に好感を持たれ易い無難な格好なのですか?
それとも、誰が見てもお洒落だと言わせられる程のレベルまでもっていくことなのですか?
脱オタにも言えることですが、お洒落って色々なカタチがありますよね?その人に合ったお洒落のカタチを行使出来ている人はいいのですがキャラに合わないお洒落をすると失敗してしまうのではないでしょうか?
それこそ、丸井系が揶揄されるのは細身系の着こなしなんて
・身長最低175cm以上
・サッカーのMFみたいなソフトマッチョ
・出来れば顔もある程度以上
くらいの条件を満たしてなければ似合わない物を誰かれ構わずに売りまくってしまうからかっこ悪い人が悪目立ちしてしまい丸井系のイメージが悪くなってしまうと思うんですね。
この定義をハッキリしないと勘違いお洒落非モテさんが量産されてゆくだけだと思います。
鳥蔵さんも仰っていますが、「楽しんでいる」人はもともとの顔の造作や服装云々だけではなくて素敵に見える人も大勢いると思います。
Posted by: 天馬唯 | June 06, 2005 at 09:39 PM
この手の話によく出てくる「内面(性格)は外見(顔)に表れる」というフレーズですが、これは、正確には「内面(性格)は外見(顔)に表れる *こともある* 」ではないかと思っています。
Masaoさんは以前にも、この「内面(性格)は外見(顔)に表れる」というのは建前で、そんな建前があるから、この社会への適応にあえぐ非モテには毒にしかならない、ということで、むしろ、「外見が絶対的魅力をもつことの事実」をうったえてらっしゃるのだと思います。
私は、この「内面(性格)は外見(顔)に表れる」ということも事実ではあると思います。ですがそれは、「そういうこともある」という一例に過ぎないのではないかと考えています。
「顔に表れていないからといって、性格が悪いということではない」ということも忘れてはならないのではないでしょうか。
また、性格というのは、それこそ相対的な良し悪しのものですから、外見からその魅力を測るにも、それなりの相性というか、「見る目」は必要だと思います。
だからこそ、「性格から表れる外見」の判別は難しいわけで、Masaoさんも、そんな難しい道を選ぶより、とにかくまずはマニュアル通りで良いから外見を、とおっしゃってるのではないでしょうか。
外見から性格が悪そうだと思ったとしても、その評価には「自分の見る目がない」という可能性も含まれているのです。
そういう意味において、「性格はアテにならない」と、ルックス重視の重要性をとらえられている方も多いのではないでしょうか。
私個人としては、そういった「見る目」こそ、最も大切にすべきものだと思っています。
Posted by: 益田ラヂヲ | June 07, 2005 at 12:41 AM
仕事が忙しくなり、レスが滞ってます。キチンと返事を書きたいのですが、当面難しそうな状況です。取り急ぎ質問への返答だけしておきます。何卒ご容赦くださいませ。
>天馬さん,鳥蔵さん
追記でも書きましたが、この記事は
・異性から面と向かって「キモい」と言われるような、自他共に認める非モテである
・非モテからなんとしても脱出したいという固い決意がある
・カオに対するコンプレックスがある
といった方へのアドバイスとして書いています。ですから、
>「楽しんでいる」人はもともとの顔の造作や服装云々だけではなくて素敵に見える人も大勢いると思います。
といった素敵な方は非モテではありませんので、アドバイス対象者ではありません。あくまで「ビューティーコロシアム」に参加しようか迷っているような、カオにコンプレックスを持っている方を対象に書いています。
鳥蔵さんは、「性格がよくなったら顔も変わる~」とおっしゃいますが、ここで書いたような方たちは、カオが悪いことで世間から疎まれたことに対し、ルサンチマンとコンプレックスを持っています。こういった恨みの気持ちを抱えていては、性格を改善することは難しいでしょう。
彼・彼女達にとって、まずはこのコンプレックスを解消しることが「性格をよくすること」への最短の道だと考えています。ですから、「ココロはカオについてくる」と言っているわけです。
>外見を変えるというのは一般レベルでけしてお洒落ではないが小汚くない、人に好感を持たれ易い無難な格好なのですか?
>それとも、誰が見てもお洒落だと言わせられる程のレベルまでもっていくことなのですか?
可能な限り、後者を目指すべきだと思っています。他者から「お洒落だね」「カッコいいね」と承認を受けることが、コンプレックス解消への何よりの薬になりますから(これは、私自身が経験してきたことです)。無難な格好をするだけでは、このレベルに到達することは不可能です。
しかし、このレベルには誰もが到達できるわけではありませんから、あくまで努力目標としては、です。実際には前者のレベルで止まってしまっても、コンプレックスが軽減・解消されるのであれば、万事OKだと思います。
>その人に合ったお洒落のカタチを行使出来ている人はいいのですがキャラに合わないお洒落をすると失敗してしまうのではないでしょうか?
失敗も、勉強のひとつだと思っています。私も脱オタ初期には、今では絶対に着れないようなセンスのものもたくさん買っていました。「痛い失敗」を何度も繰り返さなければ、自分に似合ったファッションを見つけることはできないのではないでしょうか?
特に今まで服装に無頓着であったのであれば、失敗は避けて通れないと思います。
当然、脱オタマニュアルを超えたチャレンジも必要でしょう。うちのブログでは繰り返し言ってますが、成長のためにはトライ&エラーが必要なわけです。
私は、非モテの生き方を否定しませんし、そいういった方にも幸せになって欲しいと願っています。しかし、非モテを克服しようという決意を持った方に対してだけは、徹底したスパルタ主義・効率主義です。
これは、私自身が非モテ脱出にかかる膨大なコストを、身をもって体験しているからです。厳しい現実を知り、膨大なカネと時間を投下する覚悟を決めて脱非モテに挑んで欲しいし、その覚悟がないのであれば、脱非モテは決して達成できないと思うのです。
Posted by: Masao | June 07, 2005 at 01:06 AM
んー、ラヂヲさんとすれ違ってしまいましたか・・・・・・
>「性格から表れる外見」の判別は難しいわけで、Masaoさんも、そんな難しい道を選ぶより、とにかくまずはマニュアル通りで良いから外見を、とおっしゃってるのではないでしょうか。
その通りです。文意を汲んでくださり、ありがとうございます。繰り返しますが、あくまで「非モテから脱出したい人にとっては」ですから。その点は、ご理解いただきたいなと思います。
Posted by: Masao | June 07, 2005 at 01:17 AM
はてなの方も読ませて頂きました。
ブログ名が純粋なココロなのに内面より外見を磨くことを薦めるのは矛盾しているように見えます。
ご自分がコンパで知り合った女性に外見を気に入られ内面を出したら逃げられたとどこかに書いてあったので、内面<外見の公式が出来上がっただけなのでわ?
もしくはご自分の容姿を自慢しているとか。
見た目からくる第一印象がよい人と悪い人で、後からの印象がより良くなるのは悪い方の人だと言う心理分析もあるんですよ
Posted by: 寝子 | June 09, 2005 at 09:22 PM
>ブログ名が純粋なココロなのに内面より外見を磨くことを薦めるのは矛盾しているように見えます。
こちらをご覧ください。特に読んでいただきたい箇所を引用すると、
「生の気持ちを、善悪明暗喜怒哀楽、全部ひっくるめて書いていきたい」
「純粋ってのは、そんなキレイなもんじゃないんだぜってことです」
蛇足かつ無粋ながらついでに言えば、「純粋なココロ」は掛詞です。
>見た目からくる第一印象がよい人と悪い人で、後からの印象がより良くなるのは悪い方の人だと言う心理分析もあるんですよ
見た目がよくないと、内面まで見てもらえる可能性が低いということです(参照)。寝子さんはそういう人間ではないかも知れませんが、世の中(特に若年層)にはそういった方が多いこともまた、事実です。特に異性に対しては。
Posted by: Masao | June 09, 2005 at 11:38 PM
なるほど、少し自分も読み違えていた部分もありましたね。失礼しました~。
僕もコンプレックスを持つ非モテさんを救う最短の方法は、とりあえず小汚くない程度の外見まで持っていくことだと思います。この部分はまったく同意します。
ただ、それよりも上を目指すとなるとよほど運良くないと挫折して非モテを克服する為ではなくてただひたすら「変わらない非モテ」を貶めるだけの人(勘違いお洒落さん)になってしまっている人を数多く見てきましたのでどうしても完全には同意できないなあ・・・。
まあ、勘違いお洒落さんであれ自分の言うところの「脱オタ失敗者」であれ無理やり恋人を作っている事例もありますから、勘違いや脱オタ失敗者=悪とも言い切れないのですが。
Posted by: 天馬唯 | June 10, 2005 at 10:36 PM
Masao様、初めまして。全く関係の無い単語からの検索で、こちらにたどりつき、興味深いお話がありましたので、ななめ読みではありますが、拝読させて頂きました。
>性格の良し悪しとは「相性」でしかない
当たり前の事なのかもしれませんが、目から鱗が落ちました。
自分自身「男は中身よ」なんて言いながら、友人には「自分よりランク低い男は連れてこないね」と言われたり…「偶然よ」と返しましたが、外見で選んでいるのでしょうね。少なくとも、【外見で選んでから、その中の相性(中身)が自分と合う人】を、探しているのだと思います。
今までは、出来た人間ぶって(私の中で、人を顔で選ぶ人間は、悪というイメージがあったのです)「中身が一番大事」なんて、声高に言っていましたが、こちらを拝読して、素直に自分が人を外見で選んでいるという事を認められました。ありがとうございました。
私自身、元々オタクだったのですが、自然に抜けてしまいました。
どちらかのウェブサイトで拝見した考察なのですが、女性はオタクな部分と表向きの部分、どちらも両立する事が男性に比べて巧い(と、言うよりも、外見を美しく保つ事が男性よりも要求されるので、自然の流れなのでしょうが←これは個人的意見)と、ありました。
何かの参考になればと思いましたが、サイト名を失念してしまいました…すいません。
全てに目を通す時間が取れないままのコメント、失礼致しました。感動の余り、一言応援差し上げようと思った次第です。
これからも、過去記事を少しずつ読ませて頂きたいと思います。お忙しい中の更新、お体に無理の無い程度に…一読者として、楽しみにしています。
ただの、応援コメントですので、削除頂いてもさしつかえありません。
Posted by: 匿名で失礼致します。 | July 13, 2005 at 03:05 AM
> 匿名さん
応援ありがとうございます。
僕は、「外見で人を選んでいる」ことが悪だとは思っていなくて、そういった人間の本能を認めたうえで、「本能のバイアス」とどのように向き合うのかを、ひとりひとりが考えることが大事だと思っているんですね。
何も意識しなくても、外見による差別はどうしても生まれてしまうわけで、これを否定することは、差別する側にとってもされる側にとっても、よい結果をもたらさないと思うのです。「無意識の差別」ほど性質の悪いものはありませんから。
> 外見を美しく保つ事が男性よりも要求されるので、自然の流れなのでしょうが
これは、僕もそのとおりだと思っています。男性にも、徐々に「外見」を求める流れは起こっていると思うのですが・・・・・・
このへんについては、僕もいくつか考察を書いてるんでよかったらこのへんの記事もどうぞ。
Posted by: Masao | July 13, 2005 at 10:03 PM
初めまして、喪男道というblogを管理している覚悟という者です。
モテナイ男についての考察を専門とした内容ですが、興味が御座いましたらご覧頂ければと思います。
Posted by: 覚悟 | August 04, 2005 at 08:58 PM
>覚悟さん
「喪男道」は数日前に発見しまして、全記事を興味深く読ませていただきました。電波男以降の議論を、喪男の視点から的確かつ簡潔にまとめられていますね。感心しました。喪男の心境を手っ取り早く知りたい人には、オススメのブログだと思います。あの内容であれば、モテの方からも共感する方が出てくるのではないでしょうか。はてなブックマークに、いくつか気になった記事に感想を書いたので、よろしければご覧ください(参照)。
あと、最後にこの記事に関してひとつだけ言わせてもらいますが、確かにオタクを見下すために脱オタする人間も多いようですが、僕はそのような立場にはありません。そこだけはご了承ください(参照)。
僕は、単純にモテたくて脱オタしただけで、オタクを見下そうなどとは全く考えていません。脱オタ者にも、いろいろいるわけで、「脱オタ者=オタク差別者」と、あまりステロタイプな見方はしないでいただきたいな、と。
Posted by: Masao | August 06, 2005 at 12:28 AM