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August 20, 2005

『社会的コミュニケーションスキル』と『情愛的コミュニケーションスキル』は違う

【コミュニケーションスキルとは「他人を意のままに動かすスキル」であると考えてみる】
http://blog.heartlogic.jp/archives/000667.html

この記事で書かれている、「他人を意のままに動かすスキル」としての「コミュニケーションスキル」は、「社会的に」求められているコミュニケーションスキルであって、「家族・恋人に」求められるコミュニケーションスキルとは違うと思う*1。こういった極親密な関係に求められるものは、「包容力」「共感力」「寛容さ」「思いやり」といった「情愛的コミュニケーションスキル」ではないかと*2

スクールカーストキーワード化のときにも書きましたが、「社会的コミュニケーションスキル」と「情愛的コミュニケーションスキル」は、キッチリ分けて考えるべきだと思いますねぇ*3

で、この二種類の「コミュニケーションスキル」の違いがわからないせいで、「社会的コミュニケーションスキルは高いが、情愛的コミュニケーションスキルの低い人間」に騙され、浮気や離婚で泣きを見る女性のなんと多いことか!

この背景には、「社会的コミュニケーションスキル」ばかりが過剰に重視され、「情愛的コミュニケーションスキル」が軽視されている現実があるわけです。世の女性達は、「社会的コミュニケーションスキル」にばかり気をとられないで、もっと男を見る目を養わんといかんですよ。まぁ、見る目を養ってもらわないほうが、僕もカオを武器にモテられるわけですが(笑)

ちなみに僕は価値観の押し付けこそは、世の中で最も嫌悪すべき罪であると考える人間なので*4、他人を意のままに動かすこと「だけ」がコミュニケーションスキルなのであれば、そんなスキルが過剰に重視される世の中はぶっ壊してやりたいと思いますよ、えぇ。「社会的コミュニケーションスキル」が「処世術」として大切なことは認めますし、僕もそういったスキルを重視していますが、それ「ばかり」が「コミュニケーションスキル」であるとして過剰にもてはやされる風潮には抵抗していきたいな、と。


【そもそも『社会的コミュニケーションスキル』がもてはやされるのは】
もう少し突っ込むと、「社会的コミュニケーションスキル」が過剰にもてはやされる背景には、欲望と競争をエネルギーとして肯定する、資本主義の構造的問題があると思うんですね。「社会的コミュニケーションスキル」が過剰にもてはやされているのは、それが資本主義社会で肯定される「競争」に勝利し、「欲望」を充足させるために、非常に有効な手段だからにほかならないわけで。

「情愛的コミュニケーションスキル」が「社会的コミュニケーションスキル」よりも軽視される現代社会は、人間が「人間として」生きるには、非常にストレスが溜まりやすい社会だと思います。精神病の増加も、こういった社会背景と無関係ではないんだろうなぁ。

とはいえ、この社会構造を個人ですぐにどうこうするのは無理なんで、今、ひとりひとりができる事は、「社会的コミュニケーションスキル」過剰重視の風潮を見直し、「情愛的コミュニケーションスキル」の重要性を、もっと認識することだと思うんです。

でなければ、資本主義社会は発達すればするほどに、精神的には生き辛いストレス社会になっていくと思います。放っておくと、どんどん一握りの強者・勝者だけに都合のいい世の中になるのが、資本主義の本質ですから。


【追記】
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/adjust/skill_to_spec.htm
こちらで提唱されている「コミュニケーションスペック」という概念は非常に面白いと思った。確かにコミュニケーションを「スキル」と定義するには、先天的なモノが関与する割合があまりにも多すぎる。

【追記2】
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050819/1124456792
ちょっと関連しているかも知れない、こちらも紹介。外見と内面はまったくの別モノだが、外見がコミュニケーションに与える効果はあまりに絶大であるという話。

【追記3】
はてなキーワード「コミュニケーションスキル」で、うちの記事を何件かリンクしていただいたので反応したいのだけれど、ちょっとリソース的にしんどいなぁ。悔しい。


*1 「友人」には、「社会的に繋がってるだけの友人」も多数存在するので、外しておいた。「社会的に繋がってるだけの恋人」?ハァ?食い物ですか?

*2 人はこれを「愛」と呼ぶ。

*3 参照先記事では、「社会的コミュニケーションスキル=自己主張能力」「情愛的コミュニケーションスキル=相互共感能力」と表現。これらは対立する概念ではない点に注意!両方高い人や、両方低い人もいる。言葉の意味的には、今回使った言葉のほうがしっくりくるかな?

*4 なぜならそれは、民主主義の原則に反する行為だから。大げさで堅いこと言えば、憲法違反なわけですよ。

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Comments

情愛的スキルですか。
これも私には欠落してるものの一つです。
愛しているということを表現することは困難です。

しかし明治の文学青年が女学生に受け入れられたり、ヲタクの青年がエルメスさんに癒されたり、日本は古来から夢想に走り勝ちな男の子を地面に縫いとめるのは女性の役目とされてきました。
(もちろん男性の勝手な妄想も入っているでしょうが)

そういうときは、素直に私はあなたを愛しているが、どう表現したらいいのか判らないといえばいいのではないでしょうか?

社会的コミュニケーションと違って、既に受け入れ態勢は完了してます。
あとは素の自分をさらけ出して泣く。これ最強。(実話・・・笑)

ここで拒否られたときの衝撃は筆舌に尽くしがたいですが、そんな経験がイケメンを作るのだと開き直って肥やしにしましょう。(泣)

ちなみに女子の数はほぼ男子と同じだ。
大目の男子はゲイが食ってるから心配すんな。

それでは

Posted by: KY | August 21, 2005 at 01:27 AM

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