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November 11, 2005

非モテレストラン街へようこそ!

【前書き】
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051110#p2

Masao氏に言いたいのは、本当に非モテのことを思うのなら、今のネット上でのスタイルを放棄しなさいということだ。あなたのやっていることは、非モテの救済になるどころか、淀んだ差別を拡大するだけだ。まあ、非モテのことなんぞ本気で考えていないから、あのスタイルを続けるんだろうけど。

いい加減にしなさい!!!

心情的にはhazama氏のお怒りはわかるのですが、僕はこのスタンスを変えるつもりはありません。

hazama氏の批判をまとめると、「Masaoのスタイルは、論理・倫理共に問題があるから駄目だ!」ということになると思います。しかし僕は、非モテ問題を解決する手段は、論理的・倫理的である必要はないと考えています(もちろん、論理・倫理的に『正しい』ものであっても構いません)。ですからこの批判は、僕の目には無意味なものに映ります。

僕が最も重視していることは、「非モテ個人がコンプレックスから解放されること」です。そしてそのためには、手段を選ぶべきではないと考えています。要は、「解決原理主義者」なのです。

以下、このことについて詳細を述べていきます。


【解決原理主義】
僕が非モテ問題を考えるとき念頭に置いていることは、「非モテ問題は、最終的には自分で解決するしかない」ということです。そして、僕の定義する「解決」とは、「非モテ個人がコンプレックスから解放されること」です。あくまで「個人が」です。

そのための手段は、なんだっていいと思います。「脱オタ」「電波男」「喪原理主義」「教養的オタク」「社会運動」「完全な諦め」「コンプレックスに悩みつつ生きる」「DQN化」etc......。右は「脱オタク恋愛講座」から左は「喪男道」まで。

前回の記事の例でいえば、恋愛至上主義カーストで上昇を狙ってもいいし、別のカーストを作って or 探してそこで勝負してもいいし、脱カーストしてもいいし、カースト破壊を目指してもいい(ただし、それで問題が『解決』するのであればという条件付きですが)。

僕個人はカーストに対して嫌悪感を持っていますが、「昇カースト」して更なるカースト強化に貢献するのも、それが個人の問題の「解決」に繋がるのであれば、「アリ」だと思っています。

あらゆる手段の中から自分と相性のよいモノをひとりひとりが選択し、試行錯誤を繰り返しながら実行して欲しいのです(もちろん選択・実行しない自由もあります)。「選択」するためには、「情報」が必要です。だから僕は、非モテ問題を分析し、それぞれの解決策のメリット・デメリットを明らかにし、選択の補助線となる「情報」を提供したいのです。そのための「非モテ考察・分析」です*1

僕が非モテに「上から物言っている」と見られるのは、この辺りに原因があるのでしょう。このスタイルが、非モテ当事者の反感や怒りを買うことは理解できます。その反感は、hazama氏の以下の文面からも読み取れます。

「非モテチャット」なるものを作ったとして、そこでコテハンで「Masao」が入室したらどうなるのか?そこには「脱オタした人間が上から物言う」という意味が隠喩的に込められる。結局、カーストを軽減する方向になんぞ機能するはずもない。それでもやろうとしているMasao氏は高見の見物を決め込んで、非モテを嘲笑したいのか?

前述したように、僕の意図は嘲笑ではなく、「選択のための情報提供と、そのための分析」そして「解決策」を編むための議論を行う「場」としての「非モテツガクの館」です。しかし、もうこのすれ違いはもうしょうがないと思っています。僕のスタイルに反感を持たれがちな部分があることは、自分でも認めますから。

しかし僕は、たとえ100人の非モテから反感を買ったとしても、「情報提供」「分析」により救われる非モテが1人でもいるのであれば、今のスタイルを続けることに意味があると考えています。

非モテから批判の多い「脱オタクファッションガイド」や「脱オタク恋愛講座」にしても、あそこに書かれた内容を実行し、救われた非モテも存在するのですから(僕もその一人です)、そのことは高く評価されるべきです。同じ理由で、「喪男道」も高く評価します。

僕はたまたま「脱オタ」が性に合っていたのでこの方法を選択しましたが、他の方法が向いている方もいるでしょう。であれば、そちらの方法を選べばよろしい。

そして、それぞれの「方法論」の間で闘争することに、僕は全く意味を見出せません。僕が興味があるのは、問題の「解決」だけです。


【論理・倫理は『ツール』である】
さらに言えば、僕は「解決」のための方法は、論理的・倫理的である必要すらないと思っています。論理的・倫理的に正しい行動が、人々の「説得」に役立ち、「共感」を呼び、「解決」へ繋がるのであれば、僕はその「ツール」を利用します。

しかし、論理的・倫理的に正しくても、その「行動」が「解決」に繋がらないのであれば、僕はそれを無意味なものとして片付けるでしょう。それであれば、論理的・倫理的に「正しくない」が、「解決」の役には立つ「行動」のほうが、よっぽどマシ。

僕は、この程度には矛盾し、醜く、冷酷な人間です。その自覚もしています。しかし、矛盾し、倫理的に許され難い行動が、主に脱オタ系の非モテ解決策において有効であることもまた、事実なのです。人間は、必ずしも「論理・倫理」で動いているわけではないからです。

hazama氏のブログを見ていると、氏が非常に「論理・倫理」を重視していることがわかります。昨今の天馬氏とのやりとりを見ていても、「天馬氏の気持ちは分かるが、分析すると矛盾がある」「卑劣だ」ということを、hazama氏は繰り返し述べています。

http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051109#c1131625848

私はできるだけ論理的に天馬さんのエントリを批判し「あなたの理屈をつきつめるとこういう矛盾した結論がでますよ」と指摘しているのに、天馬さんはそれを私の「決め付け」と断じて、極端だと言ったり、二元論に持ち込んだりしています。これは私の批判を正面から受け止めていないとしか思えないのです。批判を正面から受け止めないで、「ハザマは話がわからない」というようなレッテル貼りをするのは卑劣です。そこに怒っています。

僕はhazama氏を「理屈っぽい」と批判するつもりは一切ありません。「理屈」で救われる人間も存在するからです。

ただ僕には、このhazama氏の「矛盾がある」「卑劣だ」という、天馬氏の方法論に対する批判は、「正しいが、意味のない」ものにしか思えませんでした。「議論のための議論」に見えます。僕は、荒削りでも解決策を提示した、天馬氏を支持します。僕は、「論理・倫理」より「解決」を重視する人間だからです。

僕が提唱する「非モテツガク」がカタカナなのは、hazama氏が指摘するとおり、これが「論理」を追求する「学問」ではなく、「解決」を追求する「処世術」だからです。事実、下書きでは『非モテ哲学』と書いたのですが、「違う」と思ったので止めました。


【それぞれの店が、それぞれの味を出していけばいい。客は『好み』で店を選べばいい】
僕は、非モテ解決策として「脱オタ」を選択しました。しかし、「脱オタ」に至上の価値があると考えているわけではありません。この方法は、前回の記事で指摘したような、多くの問題を抱えています。

しかしそれは、他の方法も同じなのです。どんな方法にも、メリット・デメリットがあります。僕は、すべての「解決策」に同じだけの価値があると考えます。方法論同士で優劣を競い合うなど、あまりにもナンセンス。

であれば。

解決策は、各人が自分の「好み」で選べばよろしい。各論客の編む「思想」を「メニュー」として利用し、好みの論客が運営するレストランを探し、それを素にオーダーメイドな自分自身の「解決策」を作り上げて欲しい。

幸い、ブームによってレストランは質・量共に充実しています。論理家シェフhazamaが運営する「過下郎日記」。喪原理主義を武器に女性と闘う覚悟シェフの「喪男道」。目的のためなら手段を選ばない、極悪シェフMasaoによる「純粋なココロ」。名も無き有象無象が集いあうバー「2ch」。お好きな店をお選びください。

味が好みに合わなかったら、もう立ち寄る必要はありません。あまりにも酷い対応にムカついたら、「死ねばいいのに」と捨てゼリフを残して逃げましょう。怒ったシェフが追いかけて来て大乱闘になるかも知れませんが、それもまた人生の素敵な1ページ。

シェフにできるのは、そのシェフなりの補助線を提供するところまでです。あとは、お客様ひとりひとりが、自分の頭で考えるしかありません。そして、思考の材料は、多ければ多いほどいい。だから僕は、今日も非モテをテーマにした新作料理を作っています。おいしく召し上がっていただければ幸いですが、強制はしません。

hazama氏はhazama氏の味を追及してください。僕は僕の味を追求します。そしてそれが、結果的に多くの非モテの「解決」の手助けになると思うのです。だから僕は、批判を受けても反感を買っても、店のスタイルを変えるつもりはありません。


【2005 11/14 AM.2:00 追記】
シロクマさんが、まさに僕がこの記事で「書き忘れていた」と思っていた点を、コメント欄で指摘してくれたので、補足。

http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/11/post_51e5.html#c4873107

ただし、倫理技術(技術、と修飾語付け加えることをお許しください)を軽視する度合いによっては副作用が生じる筈なので、一定の配慮は必要だとは思います。

これは本当にその通りで、いくら「論理・論理的である必要はない」と言っても、あまりにも倫理的に劣った行動は、「解決」のための処方箋として、オススメできません。

たとえば「浮気」。

「浮気」のメリットは、「経験値を稼ぐのに非常に効率がいい」ことですが、この行動にはデメリット(あるいは『コスト』)として、「異性との激しいトラブル」がまず間違いなく付随してきます。また、下手をすれば裁判沙汰等になり、一生を棒に振る可能性もあります。これでは「解決」するどころかますますルサンチマンを深めたり、自分の社会的立場を危うくしてしまう恐れがあります。

もちろん、こういったデメリットまで見据えたうえで、この選択肢を実行するのも「アリ」ですが、その結果はあくまで自分で背負わなければなりません。こういった「リスク」を的確に把握するためにも、もっと「透明な情報」が必要だと僕は考えるのです。


*1 だから僕は、自分が感じたことをできるだけ正直にブログに表現するよう心がけています(うちのブログタイトルには、こういった願いが込められています)。例えそれが、hazama氏が指摘するような残虐性を孕んでいようとも。

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Comments

倫理の問題は社会においてはともかく、個人の選択レベルでは相対的なものに堕するという一般的な傾向を考えると、個人の適応を最大化する試みは、時として「完全なる倫理」を逸脱するものだし、それが人間という生き物の限界なのだと考えます。勿論、倫理や論理や科学はそれを軽減化させる為に供されるべきですが、私も含む今の人間どもを見ている限り、まだまだ大変そうです。

故に、所謂脱オタに際して、脱オタク恋愛講座のような、(シロクマからみても)倫理技術的に問題がある選択肢が実際に選ばれる可能性も、個人の適応というテーマに即して考えるならばある程度認めざるを得ないと思ってます。少なくとも、その人の社会適応を最大化するという命題に関する限り、時として倫理的逸脱が含まれる事はある筈です。

ただし、倫理技術(技術、と修飾語付け加えることをお許しください)を軽視する度合いによっては副作用が生じる筈なので、一定の配慮は必要だとは思います。聖人になる必要はなくても、悪人になるのは避けるべきというのが、個人の適応を長期的にのばすうえで結構重要なことだと思いますので。この事を、Masaoさんには是非補足して頂きたいところです。

今回のMasaoさんの発言は、多くの人の怒りや失望を誘うでしょうが、人間の適応が本質的に利己的で残酷な淘汰を含んだものという事実をふまえたものだとは言えます。そういったものは無いという前提で空論を展開するよりは余程建設的だと私は考えています。この指摘には救われない人の存在が含意されているとも思いますが、娑婆世界は非情すぎるほど残酷なので、そんなものだろうと目を瞑るしかない私がいます。ここはMMOや机上や桃源郷ではなく、娑婆世界ですから。

 ただし、倫理技術を無視する度合いによっては、バックファイアを起こす事には留意して頂きたいとは思います。そして、「倫理的・論理的である必要は無い」というレトリックは、例えばhazamaさんがフォントを大きくしたようなリアクションを呼び起こす可能性があるので、もっと丁寧に取り扱ってほしかったです。あの不注意なレトリックによって、おそらく折角の記事のおいしい所は無視され、激しい批判と感情的反応を読者にもたらす事は避けられないと予測します(勿論そのような反応が、この記事のおいしい所を否定する材料になるわけではありませんが、おいしい所を味わって貰えない可能性が高いということです)。

Posted by: シロクマ | November 12, 2005 at 11:28 AM

恋愛ヒエラルキーというのはある種の社会的圧力によって形成されるものであり、それは個人の容姿、家柄の貴賎を含む生まれつきの要素でかなりの部分が決まってしまいます。なのにモテるモテないの原因を個人の努力に押し込めるような言い方をした上で「努力が足りない」と言うのは、社会的事情によって飢えている人間に対してお前が飢えているのは努力が足りないからだと言っているのと同じではないですか。私にはこのエントリは前提から既に間違っているとしか思えないのですが……。

Posted by: れびれび | November 14, 2005 at 12:39 AM

>シロクマさん
本当に的確なご指摘、感謝します。
そこはまさに、僕が今回書き忘れたと思っていたところなので、記事に追記しておきました。


>れぶれびさん
僕も恋愛がそうした性質を持っていることは、充分承知しています。うちの過去ログを呼んでいただければ、そのことは理解していただけるハズです。

Posted by: Masao | November 14, 2005 at 02:07 AM

こんばんは~
非モテレストラン、おもしろいですね。
私は極悪シェフのMasaoさんところにいこうかねぇ。私の知らないエキゾチックな味が楽しめそうだからw

私はどちらかといえばhazamaさんの理論的な味が慣れています。
私も天馬さんのブログでhazamaさんと同じく矛盾を感じました。

しかし私も論理より解決を支持しますが、天馬さんの論理が解決になるのか疑問に感じました。本人には申し訳ないですが・・・
ブログに訪れた人たちがけっこう混乱しているようだったので。

Posted by: HIDE | November 19, 2005 at 10:47 PM

>HIDEさん
>天馬さんの論理が解決になるのか疑問に感じました。本人には申し訳ないですが・・・

僕は、最終的な解決は、本人の委ねるしかないと考えているんですね。だから、たとえ「解決にならない」と感じられる意見でも、それを読んだ人間に何か参考になったり感じるところがあれば、それでいいんじゃないかと思っています。

Posted by: Masao | November 21, 2005 at 09:57 PM

>HIDEさん

>私は極悪シェフのMasaoさんところにいこうかねぇ。私の知らないエキゾチックな味が楽しめそうだからw

こんなコメントしておいて

>私はどちらかといえばhazamaさんの理論的な味が慣れています。

これはないでしょう。
Masaoさんとhazamaさんの一連のやり取りを読んでいてのコメントとは思えません。
読解力が本当に存在しないのか、両者をおちょくっているのでしたらタチが悪いですね。

>私も天馬さんのブログでhazamaさんと同じく矛盾を感じました。

しかし私も論理より解決を支持しますが、天馬さんの論理が解決になるのか疑問に感じました。本人には申し訳ないですが・・・
ブログに訪れた人たちがけっこう混乱しているようだったので。

貴方がそう感じたのならば、他者のブログで陰口叩いてないで僕にメールでもすれば宜しいのです。

>ブログに訪れた人たちがけっこう混乱しているようだったので

読解力の無い貴方だけでしょ?

Posted by: 天馬唯 | November 21, 2005 at 10:59 PM

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