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November 09, 2005

『カースト』という極めて解決し難い問題

【なぜ「他の趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越するのか?】
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/comment?date=20051108#c

「「オタク感性」のエネルギーをいい意味でアニメやゲームだけではなく、他の趣味や会話術に使用してみてはいかがでしょう?」という提案はナンセンスだと言っているのです。他の趣味も会話術も「オタク」にすぎないことになるのですから。そうではないと言うのなら、なぜ「他の趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越するのかをはっきり言うべきです。

なぜ「他の趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越するのか?

お答えします。

なぜか世間ではそういう評価になっているから」です。そこに理由などいりません。

これは、脱オタ/脱非モテ者(以下、『脱オタ』で統一)にとっては、非常にナンセンスな質問です。なぜならこの質問は、「脱オタ者」の行動原理の根本を問いかける質問だからです。ネコに向かって、「なぜあなたはネコなのですか?」と聞いているのと同じことなのです。


【「脱オタ」とは、世間の価値観に染まることである】
そもそもいま「脱オタ」と呼ばれているものは、世間とは異なった価値観を持った者が、それゆえに受ける「迫害」「不利益」を避けるため、自らの価値観を捨て、世間の価値観に「適応」「迎合」「媚を売る」行為です。ゆえに、「世間の価値観」で「上」とされているものは、脱オタを志す者にとっても「上」となるのです。

「上」が何であるか?なぜ、その価値観は「上」なのか?

「脱オタ」を志す人間にとって、そんなことはどうでもいいことです*1。仮に、「オタク」が世間で「上」に見られるようになったとします。そのとき、現在「脱オタ者」と呼ばれている人間たちは、逆に「オタク」になるために血眼になって努力するという、言葉の定義に反した行動に出ることでしょう。

まず「世間と折り合いのつかない自分」に対する葛藤があり、その解決手段として「自分」を変えることを選択する……それが、「脱オタ」という行為の本質なのです*2

なぜ、「世間」ではなく「自分」を変えることを選択するのかといえば、そのほうが「簡単」だからです。「世間」を変えることは、「個人」には不可能です。


【脱オタの問題点】
しかし、この「脱オタ」という方法論には、問題が存在します。確かに「脱オタ」に成功すれば、その個人は世間の価値観の中で「快適に」過ごすことができるようになります。

しかし、そもそもなぜ「脱オタ者」は「脱オタ」しなくてはならなかったのか?それは、「オタクや非モテ」であることが、なんらかの不利益をその個人に与える構造が、社会に存在しているからです。個人が「脱オタ」して世間に適応できたとしても、「オタクや非モテが暮らしにくい世間」の構造はそのまま残り、新たな「脱オタ候補者」が生み出されるわけです。

さらに、この構造が残ったままでは、たとえ「オタクや非モテ」が全員「脱オタ」に成功したと仮定しても、それは「世間の価値観」の底上げが行われるにすぎません。「脱オタ」後の人間の間で、また新たな(しかも以前よりハイレベルな)ヒエラルキーが形成され、その中でまた「迫害」「不利益」を受ける「弱者」が発生し、また新たな「脱オタ候補者」が生み出されるという、イタチごっこが繰り返されるだけです。

つまり、問題の本質は「特定の価値観に拠ったカースト形成」(スクールカーストのような!)にあるのです。これを解体しない限り、この問題の真の解決はあり得ません。

しかし前述したとおり、カーストを破壊するために「世間」を変えようとするのはあまりに非現実的です。かといってカースト内で「上」を目指し「脱オタ」したとしても必ず「弱者」が発生し、問題の本質は解決されないという、「極めて解決し難い問題」がここに存在しているわけです。


【「極めて解決し難い問題」への処方箋】
この「極めて解決し難い問題」に対する「脱オタ」以外の方向性は、ふたつ考えられます。

ひとつは、「すべてのカーストの破壊」を目指し、あらゆる価値観がフラットに存在する社会を目標に、社会運動等を展開していくというストレートな方法(破カースト戦法)。もうひとつは、カーストはカーストで温存させつつも、自分だけはあらゆるカーストから脱出し、世間とは違った独自の価値観を生きるという方法(脱カースト戦法)*3

「電波男」は、「脱カースト」を実現させるために、世間からの「攻撃」に対する「痛み止め」として「萌え」を処方しつつ闘う戦法だと僕は思っています。ただこの戦法には、「萌えられない者」には実行不可能だという欠点があります。

「萌えられない者」がこの作戦を実行するには、「萌え」に相当する「何か」を、自分で見つける必要があります。それも見つけられない人間には、残念ながら「境界線」が引かれてしまいます。このへんが、kiya2014さんの「脱オタと完全な二次元満足の二分だけでは、多くの群がこぼれ落ちてしまう」という発言に繋がっているのでしょう。

そして「破カースト」。これが一番難しい。「脱オタ(昇カースト)」「脱カースト」は、共に「自分」が変化するカースト対処法ですが、「破カースト」は、「世間」をどうにかしようという方法だからです。

これを実現させる方法は、残念ながら僕には思いつきません。もしもこれが実現すれば、すべての人間が「特定の価値観に拠ったカースト形成」による「弱者化」から自由になれるわけですが、本当にこんな理想的な社会が実現可能なのかという疑問が残ります。

現行の「コミュニケーション神話」「恋愛至上主義」というカーストを倒した後で、新しいカーストが発生する可能性を、僕には否定できません。人間に「競争心」がある限り、新たなカーストは必ず発生すると考えたほうが自然でしょう。そう、非モテオフですら、カースト化の波から逃れ得なかったように。


【僕たちにできること】
結局僕たちにできる最良のことは、自分の行動が特定価値観の者に対する「弱者化」に繋がっているのではないかということに、常に自覚的であること。そして、自覚がない人間に対して、そのことを指摘していくこと。そうしたことの積み重ねによって、社会がより「まし」になっていくのを信じること。そういうことなのではないかと思います。

現在企画中の「非モテツガク者の館」は、こういった答えの出ない「極めて解決し難い問題」に関する議論を行い、参加者それぞれが、それぞれの答えを出していけるような場になるといいと考えています。


*1 ただしこれは「心構え」「理念」の話であって、脱オタする者は皆、自らの信じる価値観と、世間の価値観とのギャップに苦しめられることになります。僕も苦しめられました。

*2 それゆえ世間に迎合できないことに不利益を感じない「仙人」タイプの人間は、「脱オタ」の必要性を感じないし、する必要もありません。天然で「脱カースト」が完成しているからです。ある意味天才。

*3 ちなみに「脱オタ」は、現行のカーストで上昇を目指す戦法なので、「昇カースト戦法」です。僕が以前から「脱オタ」ではなく「脱スクールカーストCランク」と言っているのは、このへんに理由があります。

また、僕が考える「昇カースト」=「脱オタ」は「脱コミュニケーション不全」ではないのですが(この点で、僕と天馬さんは意見が食い違う)、これに関しては、また別記事で書こうと思います。このへん、昔 mixi で書いたことがあるんですが、誰かあのときのログ持ってないですかね?いい機会なので公開しようと思うんですが、なくしてしまいました(-_-;

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Comments

趣味の優劣ですか・・・

即興ですが、趣味の優劣の法則:
(優越度)=(将来の夢の描きやすさ)×(テレビでの露出度)×(本人の実績)
なんてどうでしょうか。

アニメを見るだけとか、ゲームをやるだけだと、
将来何をやるのか分かりにくいし、
テレビでの露出はむしろマイナスの値をとりそうだし、
本人の実績もその価値が外部にはわかりにくいので
下に見られるのだと思います。

「このアニメ、スゴいんだぜ」
と紹介してみても、スゴいのはアニメそのものとその製作者であって、
紹介者はスゴいとは思われ難いですし。

私も本当は「たかが趣味」と一笑にふしたいのですが、
世間の目はなかなかに厳しいですorz

長文失礼いたしました。


Posted by: Accel | November 11, 2005 at 09:31 PM

>趣味の優劣
僕としては、
アニメ・ゲーム:子供趣味
ジャズ:大人の趣味
みたいな、ステロタイプの影響が大きいんじゃないかと思うんですけどね。子供がジャズ好きだったりすると、結構変わり者扱いな気がしますし。

あとは、やっぱりマスコミの影響でしょうね……

Posted by: Masao | November 12, 2005 at 11:25 AM

Masaoさんこんばんは。
脱オタとか非モテの話がアツいですね。
うちのページなんかコメント無くて閑古鳥鳴いてます(^^;

「趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越する、その根拠が分からないです。
同じ土俵で優劣つけられないとおもいますが?
何に優越するのですか?

しょっぱなから疑問でスイマセンが。

Posted by: HIDE | November 17, 2005 at 12:46 AM

>「趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越する、その根拠が分からないです。
>同じ土俵で優劣つけられないとおもいますが?
>何に優越するのですか?

根拠はあるし、問題な部分もあるとは思うのですが、こと「脱オタ」する場合に限っては、そんなことを疑問に思わず、目の前の「やるべきこと」に集中したほうが効果的だということが言いたかったわけです。

ちなみに僕個人は、「他の趣味や会話術」が「アニメやゲーム」に優越するとは思っていません。

Posted by: Masao | November 17, 2005 at 07:45 PM

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